アウェイ浦和戦のこと | Little Days

アウェイ浦和戦のこと

フッキが柱谷監督の握手を無視してベンチに下がって、そのまま退団した試合以来だから、2008年7月以来ということか。
あの日は、バウルがボールを持つたびに彼方側からブーイングが起こり、そのスイッチの入り方と声量の大きさに度肝を抜かれたが、この日はそれほどの声援には思えなかった。手拍子とかそろっていてそこは鮮やかだとは思いましたが。

その前は、2005年。団体統一応援をした試合。サポーターグループの人もその周りの一般サポーター、ブロガーと呼ばれていた人たちが悶々としながら、応援していた。泣きながらの人もいた。

15年ぶりの浦和美園駅
前回も周りは赤い人ばかりだったけど、
今回もレプリカ着用率が高い。
赤だとマフラーも目立つよね。





出島に来るのは3回目。
そうだった、こんなだったと思い出しながら、スタンドに入ると
開始1時間半前だというのに、席を探すのに一苦労。
かなり上層階に上がって、ひとまず座ったのだけど、
その後も続々と上がってくる。
周りにいくつか空席があったので、探している人を見るたび、
招き入れてあげた。
だって、探している時間、無駄でしょう。着替えるにしろ、軽食とるにしろ、
そうやって時間を作ってあげることで応援に向かう準備が取れるし、すべては勝利のため。

試合は、前半の20分ぐらいまでは、あちらのペースだったけど、
試合に慣れて来るとかなりこちらのペースだった。
森田が全プレーヤーの中で段違いの上手さだった。

連続してのコーナー、何度目か忘れたけど、その流れからの木村のボレー。
見事だった。
まわりは大騒ぎでしたね。
あの密集でのハイタッチは気持ちよかった。

そこから押して来るのかと思ったけど、その攻撃に迫力はなく、
逆に後半の途中までは、こちらがボールを握る時間も多く、
あと1点取れば、勝てるぞと思っていたところに
中島翔哉が投入。
ここから流れが変わったようで、段々、ラインを上げられなくなる。
途中交代で入ったケイトとゴーキもチェイスしても後ろがついてこれないと判断したのか、それほど強くは追いかけず。
それでも要所は抑えていたし、あちらのコーナーは得点の気配もなかったので、
やはり終了間際のPKは残念。
山越がスライディングでクリアーして、その残り足で相手の足を蹴っているということなんだろうけど、当たっていると思われるところと抑えているところが違うんだよね。本当に当たっているのだろうか。スライディングして足を上げている時点でファールということなんだろうけど、あのクリアをPKにされてしまうと守っている方は厳しいね。

試合後は、中島翔哉の姿を見て、拍手をしてから帰ったのですが、



スタジアムから出る階段のところで、男女3人くらいの若者が後ろを歩いていて、そのなかの一人が
「河村なんか出すから。選手層が薄い。控えの選手があれじゃあ」と言っていて、思わず後ろを振り返ってしまった。
リュックを背負ってなかったら、上着を脱いで、今年の背番号を見せつけてやるところだったんだけど。
あんな引き分けじゃ悔しいし、4方向が敵のなかでラインダンスをしたかったし、本当に僕もモヤモヤしていたし、愚痴や文句を言いたくなるのはわかる。でも、やっぱり、選手に対して「なんか」とか言うのは許せない。
ただ、そうだよね、2006年の編成のことを、彼ら彼女らは知らないだろうしね。選手がいなくなるってことがどんなに悲しくて辛かったか。
応援する側が選手を信じることをしなかったら、ウチのようなチームはまた降格してしまうよ。

帰り道、レッズのサポーターの反応は、
・コーナー以外、怖くなかった←それは負け惜しみ(引き分けだけど)
・10番の選手、うまかったなあ、みもと?←見木ね、今年千葉から来たのよ
と心の中で呟きながら駅まで向かった。
18時10分頃にスタジアムを出て、駅に着いたのは18時45分頃。
すぐの電車には満員で乗れず、19時頃の電車に乗ったので、駅までは30分以上かかったのか。

2008年当時、どうやって浦和美園まで戻ったか覚えていないけど、
西国分寺でレッズサポーターが沢山いて、
都民のくせにと憤慨したことを思い出した。
今回は赤羽で同じことを思うことになるとは。
でも、ウチのグッズを持っているひともチラホラいたので、
少しずつ、少しずつ。