阪神淡路大震災の日の釣り | ミニボート店主、リトルボートの日記、

阪神淡路大震災の日の釣り

昨日ボートで釣りに出たが

まあボートは見なかった

往復で数隻たった。

31日の大晦日、小雨の予報

それに昼から荒れるの予報だ

ったから出す人おらんかった。

私のように朝だして10時半で

上陸する予定でボート出す人

もまあ希だわな。

釣りをする時間より往復の車

の時間の方が長いもんな。

まあええかあーとにかく昨日は

釣り人なく、曇天の凪だった。

此処は禁漁区という位だった

ちょうど25年前の阪神淡路

大震災もこんな状態だった。

大震災で7千人も亡くなった日

に釣りとは不謹慎と思う人

もいるとは思うがその日は

そうは思わんかったもんな

午前5時ごろR26号の関西

空港付近で赤信号になりブレー

キを踏んだらやたら車が動く

が地震とは思わんかった。

停止したら電線がバシン

バシンと波を打って音を立て

いたのでやっと地震と判った。

その当時は軽のワンボックスで

スーパーショットを積んでいた

平井さんという方とメバル釣り

を約束していたんです

朝の6時半に釣具屋で生エビ

買ったけど客は俺達だけだった

7時に嫁から携帯に電話があっ

て余震で今揺れているという。

クルマにテレビが無く、ラジオで

は神戸は火事だというが津波は

無いを繰り返していたのでまあ

ええかあーでボートを出した

結構寒い日だった。曇天でベタベ

タの凪でした。当たりはまあ無く

釣ったのは黒メバル1匹だった

当時は大阪湾でまだ黒メバルが

釣れていたんです。

ボートも漁船も全くなく寂しい

だんだん心配になってきて早く

上がったのを記憶しています。

帰りのR26号は大渋滞だった

そんなら高速を利用しようと

思って入口にいったら閉鎖だっ

た。それで初めてエライ震災や

ってんなと思った次第です。

当時は関西の釣りという月刊誌

に毎月投稿していたがその日の

投稿については記事を削除され

ていたと記憶いたします。

大災害やから遊ぶと不謹慎と批判

するのは判るけどそれ言うていた

ら小災害は宴会アカンのかい?と

なる。東北大震災の後みんなが

自粛ムードになった時にお国は

普段通り普通にしてくださいと

広報しましたよね。自粛は誰でも

できる。止めたええんやから簡単だ

でもそういう雰囲気になると

すべての経済が衰えるからそれも

問題です。阪神淡路、東北大震災

そしてコロナを乗り越えた日本で

す。ごく近い将来、南海大地震が

来る。被害は東北大震災の10倍

という数字もある

20万人が亡くなり200兆円の

経済被害という予報もある。

今から5年前に30年以内に80%

の確率と国が予測した。それが

正しければ25年以内に80%の

確率になってします

最後は1年以内に80%だから

笑うしかない。地震なんて短い

期間に確率を出したらアカンねん

今後300年以内にほぼ99%

と言う位にせなあかん。300年

やったら責任者だれも生きてない

でもそれやったらみんな安心して

緊張せんでしょう。白浜やその他

の海岸付近の別荘地は今価値が

さがってる。来たら一発で海の

底になるもんな。

30mの大津波だそうです。

大阪市内も5mの津波、地下鉄

は自動停止する。地下鉄は足元

高圧線だから車内から出れません。

乗客のこと触れてません。でも

安心してください。御遺体上がり

ます。釣りに行っていたら?

海岸線の方の多くは行方不明!

仮に命あっても車水没で歩い

て帰る以外方法ありません。

長靴は耐えれません。裸足で靴屋

ありません。

心配していたらきりがありま

せん。まあええかあーで構え

るしか人生は無いのです。

幸も不幸も全てを受け入れる

以外にありません。それを乗り

越えるのが人間の生命なのです

強く生きとおす以外にない。

元旦早々暗い話ですんまへん。

ヘラクレス見て考えます

おおきにさん。