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人間の内なる本質へ
外界の豊かな感覚する力が
そそぎこまれる。
世界精神は
人間の目のなかに
映しだされた
自分を見つけ
人間は
この世界精神から
あらたに本当にしっかりと
観ることのできる力を
築きあげなければならない。
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春を待ちのぞむ
今は復活祭の前の時期に
あたります。
私たち人間の魂は冬の時期、
明晰な思考を持ちはじめました。
その明晰な思考のなかに
今まさに、
外側の感覚する世界、
新しい生命の誕生が
押し寄せてきます。
しかし私たちが明晰な思考を
持っているといっても、
思考自体は、
はじめの段階では
私たちの日常生活の
写し絵だけの存在です。
物質は朽ち果てます。
私たちの思考が
「物事を考える」
というように、
物に依存している限りは、
私たちの思考も
朽ち果てるはかない
いのちを持っています。
人間は自分の目に
見えたものを
まず考えます。
しかし私たちの目に
映されたものは、
物質界のものであって、
本当の真実ではありません。
精神世界が
「人間の目のなかに
映しだされた」
像のなかにみずからを
見出すということは、
もし
「人間の目のなかに
映しだされた」
像が世界精神から
力を貰わなかったら、
まったく真実ではない
もののなかに
いることになります。
しかし思考することを通して、
人間の目は世界精神から
力を貰うことができます。
ここでもまた
第46週のように本当に
しっかりと目覚めて
「観る」
取り組みが必要になってきます。
「観察する」
ということは観ることのなかに
すでに思考の力が
入っているということです。
感情的に見ているだけでは、
「あばたもえくぼ」
のように
本当に事実を
見極めることはできません。
しかし私たちは
日常生活のなかで
どれほど頻繁に
そうしてしまっていることでしょう。
場合によっては
自分の都合のいいようにしか
見ない場合もあります。
見るという行いは
非常に個人的な
偏りに陥りやすい行為です。
R.シュタイナーの『神智学』に
「人間の本質」という章があります。
物事を
気に入るかいらないかで
見るのではなく、
落ち着いた
平等な見方で観察し、
まるで崇高な存在が
それを観ていくように、
対象物の存在と
活動の神秘が
ベールを明かすように観る。
これがまさに
今の季節の私たちの
新たな課題では
ないでしょうか?
なぜならば、
まさにそれを行う私たちは
「世界精神からあらたに
本当にしっかりと
観ることのできる力を
築きあげる」
ことをしているのですから。
感謝してます