平成15年7月に、丸栄古書即売会から救出した掛け軸風に改造された「熱田名所」でしたが、さてさて、どうしたら元の形に戻せるか…。

石版画が縦に6枚連続で糊付けされていて、さらに裏打ちされている、という悲惨な状態でした。いろいろ調べた結果、和紙なので丈夫そうなので、少し水で濡らしてから剥がしてみることにチャレンジ…。


まずは、裏打ちしてある紙を少し湿らせると、意外と簡単にパリパリと剥がれます。さらに上辺部と下辺部とで糊付けされた石版画の接合部をぬるま湯で十二分に濡らして、慎重に剥がしていくと、こちらも和紙糊の劣化が進んでいたらしく、糊がすぐに浮いてきて簡単に剥がせました。表具屋に持ち込もうかとも考えていましたが、意外に簡単に修復できました。

△石版画 熱田名所 熱田港乃実景(明治32年刊)


そして「熱田名所」の明治名所石版画の復活です。。。

上の「熱田港の実景」の絵図にある「浜鳥居」はもちろん、熱田神宮の鳥居で京からの旅人を熱田神宮へ迎えるため、江戸中期に建立されたものです。現在、名古屋市熱田区の南部、南区との区界にあたる場所に、常夜灯と鐘楼そして小さな桟橋を備えた「宮の渡し公園」があります。この辺り一帯はかつて「熱田湊」と呼ばれていました。


△現在の熱田湊(七里の渡し)


東海道随一の宿場町「宮宿」と、三重県の「桑名宿」を海上航路で結ぶ「七里の渡し」の船着場があった場所です。七里の渡しは、宮宿と桑名宿を結ぶ東海道唯一の海路で、その距離が七里(27. 5km)であったことから、名付けられました。浜鳥居は京からの旅人たちが船上から見える目印として建てられていましたが、鉄道・東海道線の開通とともに七里の渡し船も廃れてしまい、その役割を終えて明治末までには撤去されました。日章旗が上がっている建物は熱田税関事務所で、現在の常夜灯付近にあったと推定されています。


なお、即売会会場では気が付きませんでしたが、裏打ちした裏面になんと外袋が貼り付けてありました。ありがたいことです。

△外袋 熱田美家計(みやげ)六葉 

 

外袋は、袋状だっものが一枚ものに切り抜かれていましたが、販売当時の図像はしっかり残されていて、この石版画は「熱田美家計(あつた みやげ)」という名称で売られていた事が分かりました。なお「美家計」とは土産のことで、明治期にはこの漢字を当てていたようです。たいへん参考になります。

 

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