私が探求を続けている明治期の名所絵を、仮に「明治名所石版画」と命名します。

この「明治名所石版画(仮)」は、明治二十年代終わり頃から明治三十年代末頃まで約十年間、名所旧跡の地にあるお土産屋さんで売られていたようです。どうも美術品ではなくて、お土産品であったということになります。

なかには、ちゃんとした系統の浮世絵師が作画した美術品並みの素晴らしいものもあれば、印刷工が描いたようなものまであります。こうした事情からか、いくら文献を探しても学術的な研究がなされた形跡がないのが実態です。たいへんに残念ですが……。このため、この名所絵には、名前が付けられていないので、仮に、明治名所石版画  とします。

 

さてさて、このほど非常に興味深い文書を見つけました。

歴史学者の西村真次氏(早稲田大学文学部教授)は、生まれ故郷の三重県宇治山田町(現・伊勢市)で過ごした少年時代(明治20、30年代)を振り返り、「私達の子供の頃は、未だ錦絵(名所絵)が幅を利かせていて、東京からのお土産の中に必ず二、三枚の錦絵が混じっていた。嬉しくて嬉しくて仕方ないのは、近所の松田さんの令嬢が東京へ行って、そのお土産に錦絵をもらった時の心境である。錦絵はたしか三枚あった。一枚は眼鏡橋(万世橋)であり、他の一枚は三井銀行であり、更に一枚は品川沖に木造の軍艦が停泊しているところが描いてあった。子供の時から船が好きであった私は、其の品川の絵をこの上もなく喜んで、毎日毎日それを敷き写しをやったほどであった。」と回想しています。

 

△石版画 東京名所 高輪海浜之図(明治31年刊)

△石版画 東京名所 日本橋乃景(明治29年刊)

 

 

こうして「名所絵」はお土産の王様として、全国各地で印刷・発行されるようになり、その人気は私製絵葉書の発行が解禁される明治末頃まで続いたものと推察されます。

 

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