■名所絵とは、

「北九州市立美術館」の展示会案内からの引用ですが、『街道や宿場が整備された江戸時代後期、庶民の間で日帰りの行楽も含めた旅行への関心が高まり、浮世絵界に「名所絵」というジャンルが定着します。名所絵には人気観光スポットの景観や各地の名物が描かれ、当時の人々がどのような旅をし、どのような旅に憧れていたのかが見えてきます。また、名所絵には御殿山の花見、隅田川の花火大会など季節ごとのイベントや、多くの人が集まる芝居小屋や吉原など日々の楽しみも描かれ、江戸時代の文化や習俗、流行も現在に伝えてくれます。』とあります。

 

江戸時代、名所絵といえば「浮世絵」版画ですが、「浮世絵」の最盛期は、文化文政期で西暦1800年頃でありました。そして明治維新(1868年)、文明開化によって江戸時代にはなかった独特の「赤色」や「紫色」インクが輸入されて「開花絵」「横浜絵」へと移っていきます。そのドギツイ色合いから、明治期の木版多色刷り浮世絵版画は、「赤絵」とも呼ばれました。「開化絵」や「横浜絵」は、文明開化によって変貌する東京や横浜などの風景や風俗を描き出し、西洋から入ってきた蒸気機関車や帆船、人力車、赤煉瓦の建物、洋装の人物なども登場させました。

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さて、私事ですが、平成8年(1996)3月、当時東京へ単身赴任していた、とある休日、学生時代を思い出しつつ地下鉄を乗り継いで、神田神保町にある古書街の角に建つ、やけに古いけど立派な造りの古書店にふらっと入りました。店内でガサガサと探っていて、木箱の中から発見したのが、次の名古屋旭廓(あさひくるわ)という「名所絵でした。どこの遊廓? 衝撃の出会いでした。

△石版画 名古屋名所 名古屋旭廓(明治33年刊)

 

さらなる疑問は「名古屋名所」とのクレジットが入っており、ということは、組み物、シリーズ物なのか?店番のおじさんに聞いてみました。「これは組み物ですか? 他に名古屋名所の絵柄があるんですか?」と。すると、おじさんは「あぁ、確か十枚くらいあったけど、みんな売れてしまって、残っているはそれだけかな」と。(確かに、お値段は一枚23,000円とかなり高めの設定でしたので、唯一売れ残ったのかと…)

つまりはこの一枚は、「名古屋名所」という組み物の中の一枚でした。他のものは完売してしまったと云う。うーん、他の絵柄も見てみたい!という欲望がふつふつと沸き上がり、長く厳しい探求の旅へと歩み出した次第です。(さらに言うと、どうも木版刷りではない様子)

 

 

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