舞い上がる思いがけず、少し上昇。もう、あるがままままにしか、生きられない、そんな諦観。だけど、気持ちは爽快だ。ーこれは、もしかしたら、ただの躁かもしれない。しかし、そんな疑惑ばかりで生きるのは、毎日気分が異なってしまう状況下では、もはやどうでもいい。躁は気軽で、強気で、そうして楽しい。今こそ生きている!そう実感できる私の唯一のもの。
重力に逆らえない朝今日は、仕事に行く予定だったのだけど。旅の疲れからか、起きるべき時間になっても、さっぱり体が動かず。頭では、起きて着替えないと、と思うのだけれど。布団から、ピクリとも出られない。あぁ~…無理だ~…ようやく、声を振り絞り、上司に電話をかける。結局、ずっと寝ている。異常なほどの倦怠感の中、不気味な夢ばかりを見る。最近、復帰を焦り過ぎていた自分に気付く。周りの期待に応えたい自分と応えられない自分。そのジレンマに自ら苦しめられている。以前のように、以前よりも前に、上に…そう思い、挫折する。「春には、完全復帰」そう願っていた春は、もう目前に迫り…焦らず、ゆっくり、と思うのだけど、そのペースが分からない。
別の場所で生きる人たち鬱々イライラスパイラルの真っ只中、主人と旅に出た。私の体調を考慮して、1泊2日の小規模なもの。たびの間は、概ね平穏だったが、何かふとしたことで、イライラが止めれない自分が、ーただ、恐怖。とくに、朝は病状が出やすく、「ひたすら布団から出たくない、誰にも会いたくない」と、鬱全開。しかし、いつもと違う場所で、いつもと違うもの、人を見て。こんな生き方もアリなんだ、と思えた。わたしは、ずっと、完成され尽くした箱庭で生きていて。その箱庭に収まらない自分は、生きていけない。そんなつまらない固定観念に縛られていたけど。いろんな生き方があって、それでいい。そう思える旅だった。
走り去る先の向こう側日に4度程度、気分が変わる。ヤル気に満ちたり、自信喪失したり、イライラ、挙動不信。それだから、生きる方向が皆目、見えず狼狽えてばかり。「生きる」とは、なんだったのか。医師が言う。「溺れるときは、ジタバタしたら余計溺れるから、流れに身を任せ」と。もちろん、そうだ。私も開き直って、意気消沈の波に呑まれたい。…しかし、その「流れ」とやらが掴めないのだ。帰り道、兎角、混乱し自分に絶望した。自分の見ていた世界は、空想だったと愕然とし、自分の無能さに腹が立った。私は走ることが苦手だが、その時ばかりは走った。走って、走って、疲れ果てて、もう何も考えたくないと感じた。人は、自分のやってきたことが無に還ることを恐れるから、死ぬことを本能的に避けるのかもしれない。
アル中の一歩手前今夜も、酒を煽りながらの更新。眠剤は、処方通り飲んだのに。眠れないことが怖く、布団に入ってじっとできない。処方以上の眠剤をつまみに、酒を飲む自分は兎角、自暴自棄で救いようがないと思う。健全に生きたいのだ。心の底から切に願う。しかし、「不健全であること」は、もはや自分の生き方でスタイルなのかもしれないとも感じる。日中は、健全さに憧れ、朝活をしよう‼︎とか意気込むが、全ては机上の空論だ。朝、仕事場に向かう。とにかく、呼吸を深く、平常心で。あまり力を入れず、「仕事場に着くこと」を最大の目標にする。近頃は、自分に対してもはや不信感しかない。「なんだかんだ理屈をこねても、一番できないのはこの己…」仕事に行くと、「もっとできる自分」であるはずだとの自分に対する期待が自分に刃をむく。期待している自分でなかったことに、愕然とし、もう「もう二度と、あの頃の自分に戻れない」絶望感に襲われる。なんて、馬鹿げていて、愚かなのか。主人は、多くの場合私の腕の傷に目を向けない。しかし、時に悲しまれ、追求する。主人は、よく理解してくれている。けれども、私は、切る以外道を知らない。そして、主人に言うべき言葉も見つからない。分かるのは、自分が主人を傷つけていること。ただ、それだけ。