空は、碧く、何処までも広く。 -6ページ目

空は、碧く、何処までも広く。

うまく生きられない、混沌としている日々は、双極性障害のせい?ときに、途方もなく明るく有能な気がするのに、ある朝突然消えたくなる。



思いがけず、少し上昇。

もう、あるがままままにしか、生きられない、そんな諦観。

だけど、気持ちは爽快だ。
ーこれは、もしかしたら、ただの躁かもしれない。

しかし、そんな疑惑ばかりで生きるのは、毎日気分が異なってしまう状況下では、もはやどうでもいい。

躁は気軽で、強気で、そうして楽しい。


今こそ生きている!そう実感できる私の唯一のもの。




今日は、仕事に行く予定だったのだけど。

旅の疲れからか、起きるべき時間になっても、さっぱり体が動かず。

頭では、起きて着替えないと、と思うのだけれど。

布団から、ピクリとも出られない。

あぁ~…無理だ~…

ようやく、声を振り絞り、上司に電話をかける。



結局、ずっと寝ている。

異常なほどの倦怠感の中、不気味な夢ばかりを見る。




最近、復帰を焦り過ぎていた自分に気付く。

周りの期待に応えたい自分と応えられない自分。

そのジレンマに自ら苦しめられている。

以前のように、以前よりも前に、上に…そう思い、挫折する。

「春には、完全復帰」そう願っていた春は、もう目前に迫り…


焦らず、ゆっくり、と思うのだけど、そのペースが分からない。








鬱々イライラスパイラルの真っ只中、主人と旅に出た。

私の体調を考慮して、1泊2日の小規模なもの。

たびの間は、概ね平穏だったが、何かふとしたことで、イライラが止めれない自分が、

ーただ、恐怖。

とくに、朝は病状が出やすく、「ひたすら布団から出たくない、誰にも会いたくない」と、鬱全

開。

しかし、いつもと違う場所で、いつもと違うもの、人を見て。

こんな生き方もアリなんだ、と思えた。

わたしは、ずっと、完成され尽くした箱庭で生きていて。

その箱庭に収まらない自分は、生きていけない。

そんなつまらない固定観念に縛られていたけど。


いろんな生き方があって、それでいい。


そう思える旅だった。



日に4度程度、気分が変わる。

ヤル気に満ちたり、自信喪失したり、イライラ、挙動不信。

それだから、生きる方向が皆目、見えず狼狽えてばかり。

「生きる」とは、なんだったのか。



医師が言う。

「溺れるときは、ジタバタしたら余計溺れるから、流れに身を任せ」と。

もちろん、そうだ。

私も開き直って、意気消沈の波に呑まれたい。

…しかし、その「流れ」とやらが掴めないのだ。

帰り道、兎角、混乱し自分に絶望した。

自分の見ていた世界は、空想だったと愕然とし、自分の無能さに腹が立った。

私は走ることが苦手だが、その時ばかりは走った。

走って、走って、疲れ果てて、もう何も考えたくないと感じた。



人は、自分のやってきたことが無に還ることを恐れるから、死ぬことを本能的に避けるのかもしれ

ない。








今夜も、酒を煽りながらの更新。


眠剤は、処方通り飲んだのに。

眠れないことが怖く、布団に入ってじっとできない。

処方以上の眠剤をつまみに、酒を飲む自分は兎角、自暴自棄で救いようがないと思う。


健全に生きたいのだ。

心の底から切に願う。

しかし、「不健全であること」は、もはや自分の生き方でスタイルなのかもしれないとも感じる。

日中は、健全さに憧れ、朝活をしよう‼︎とか意気込むが、全ては机上の空論だ。




朝、仕事場に向かう。

とにかく、呼吸を深く、平常心で。

あまり力を入れず、「仕事場に着くこと」を最大の目標にする。





近頃は、自分に対してもはや不信感しかない。

「なんだかんだ理屈をこねても、一番できないのはこの己…」

仕事に行くと、「もっとできる自分」であるはずだとの自分に対する期待が自分に刃をむく。

期待している自分でなかったことに、愕然とし、もう「もう二度と、あの頃の自分に戻れない」絶

望感に襲われる。



なんて、馬鹿げていて、愚かなのか。




主人は、多くの場合私の腕の傷に目を向けない。

しかし、時に悲しまれ、追求する。

主人は、よく理解してくれている。

けれども、私は、切る以外道を知らない。

そして、主人に言うべき言葉も見つからない。


分かるのは、自分が主人を傷つけていること。

ただ、それだけ。