幼い頃の私は、

外からの災いを遮るために**「扉」を閉ざした。

それは、誰にも触れられない場所をつくることで、

自分を守ろうとした、静かな“防壁”だった。。



感情を封じ、言葉を飲み込み、

ただ静かに、傷つかないことを選んだ日々。


けれど、痛みは増えていった。

それは、本当の守りではなかったのだ。

 


真実は、もっと深く、もっと静かで、

思っていたよりもずっと、尊くて優しかった。


痛みを遠ざけるほど、歓び方を忘れていった。

泣かない代わりに、笑わなくなった。


✳︎


“痛み”──

本当は、言葉になるはずだった。

けれど、声にすることを恐れて、私は沈黙を選んだ。

その痛みは、言葉を与えられないまま、

ずっと私の中で生きていた。


その声なき記憶に、私はいま、ようやく手を伸ばしている。


人は、ときに、自分自身に向き合うことを恐れてしまう。

見えない痛みにこそ、丁寧に触れるべきなのに。

それが“見えない”という理由だけで、

心からいつしか、そっと目を逸らしてしまうのだ。


不思議なことに──

身体の傷には寄り添えるのに、

心の傷となると、どこかで後回しにしてしまう。


優しく抱き直すべきなのは、

言葉にならなかった痛み、そのものだった。


✳︎


怒りも、悲しみも、傷も。

ずっと否定してきた感情のひとつひとつが、

**再生の術の“核”**になっていた。


私の中で静かに目覚めた、“内なる言葉”

その扉の先にこそ、すべての始まりがあったのだ。


そして、

五つ目のエレメント──**“言葉”**の力を、もっとも純粋に宿したもの


それが、

ルシフェリオンの書だった。