安心して髭の生やせる社会へ | 桃色テラス

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事物に対するあやふやな恋情≒物欲食欲、日日流され忘れてしまうような些事など、雑多な覚え書きの保管場所。
地元茅ヶ崎に関するメモ、私見偏見に満ち満ちた本・映画などの感想も。

あはれ来て野には咏へり曼珠沙華

三橋鷹女が理想です。

 お髭が大好きです。
 髭に対する欲望は尽きることなく、どこを歩いていても、どんなに道を急いでいても、雨でも雪でも台風でも、あひびきのさなかでも素敵な髭の方がいらっしゃると大きく振り返ってしまいます。

 お髭に貴賤はありません。
 立派であるとかないとか、ムサイとかスッキリしているとか、多いから偉いとか、紳士的であるとか野暮ったいとか、オッサンくさいとかオシャレであるとか――そういった評価を下すこと自体が髭を侮蔑し、髭が内包する真実の魅力を覆い隠してしまっているのだと言えましょう。

 現在、髭を取り巻く状況は困難に満ちています。
 髭が生えているがために実質的に就けないお仕事があったり、髭が生えているがために「ちゃらんぽらんな人物である」「胡散臭い」と評価されることがある――これもまた避けて通ることのできない事実です。

 しかし、元来「髭」と「無髭」は相反するものではありません。 それどころか決定的な差異があるわけでもなく、喫水域を通して緩やかにつながっているのだと考えます。
 
 「髭は無髭社会に害を及ぼす」――そんなスティグマから髭が解放され、髭と無髭が共生できる、望めば安心して髭を生やすことのできる社会の到来を希ってやみません。
 生まれては殺されていく髭の屍の上に日常が成り立っているという現実を見据え、これからも弛まず髭に情熱を傾け、ひたすらに愛して参りましょう。

 とかいって、好みはある。だって大好きなんだもの。
 顎の先きっちょにちょっとだけ生えてるオシャレ髭より、がつっとした口ひげを愛します。白髪が交じってるともっと素敵。無精ひげのザリザリ感も捨てがたい……。
 

*2009年01月23日のmixiより転載。
 上記から2年半。この間ヒゲの絶対数が増え、社会的にも認知されつつあるようで(リサ総研調べ)良きことである。なんでこんなに髭が好きなんだか自分でもよくわからない。2年半を経た今でもスキだもんね。
 髭の男性がいると年齢問わずにまず振り返える。父も叔父も生えてないんだけどね。弟に至っては産毛程度しか生えないらしいし。
 明治時代あたりはイギリスの影響で、髭は位の高さを表していたのだという。位が高くても低くても、自由にはやせるようになるといいな。会社はまだ多めに見るとしても、公立の学校で禁止するのは行き過ぎだと思う。
 そういえば、天然茶髪だった中学生時代に「黒く染めたら」と担任に言われた記憶有り。「ナチュラル」って本当に作り込まれた概念だと思う。

*メモ: 後で読もう
ヒゲへのこだわり―男達の美学
パナソニックism 
http://panasonic.co.jp/ism/shaver/01.html