「飯舘村から日本の政治を考える」2011/06/30(木) 構想日本第166回J.I.フォーラム | 桃色テラス

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あはれ来て野には咏へり曼珠沙華

三橋鷹女が理想です。

 行き交う人も街も暮らし方も、言わば何でも「置換可能」な都市部のライフスタイルとは全く異なる福島県飯舘村。約6,500人の村民と3,000頭の牛が生活していた美しい村が、福島第一原発事故の影響により「計画非難地区」に指定され、5月末までの全村避難を突きつけられた。萱野典雄村長が非難を浴びながらも、村と“村に根ざした生活を送る”村民を守りつづける為に成したことは何だったのか。
 斗ヶ沢秀俊(毎日新聞社編成局長)氏を交えてのフォーラムに参加した際のメモと考えたコトなどつらつらと。
 *ざっくりデス。詳細は後日、かなぁ? 数字のウラ取り、続報等は不勉強故今はご容赦を。


 まず、絶対忘れてはいけないのは、都市生活(茅ヶ崎市も含む)と、“田舎暮らし”では価値観もライフスタイルも全く持って違うということ。私自身、東北とは縁が薄いが瀬戸内の離島は何度も訪ねた。“田舎”では「ひと・もの・ばしょ」が置換可能な都市部の生活と異なり、地域とそのコミュニティに根ざした上で暮らしの全てが成り立っていた。単なる“郷土愛”や土地への執着といった情緒的な問題を越え、社会基盤そのものが違う。場所が違えば、関わる相手が変われば、仕事を含めて生活そのものが根本から変化してしまうのだ。
 この差異を失念してしまった時、
「危ないトコにいないでさっさと非難すれば全部解決するじゃん。あとは、避難場所とお金の問題だけでしょ?」という安易な二元論に堕してしまうのではないか。


 飯舘村に降下する放射性物質の量は3/16日以降安定的に減りつづけ、6/30のセミナー開催時点では10分の1以下になっている。「嵐の真っ最中に(政府サイドは)避難不要と言って何も対策を打たなかったのに、小雨になったら非難せよと言い出したようなもの」(斗ヶ沢)。とはいえ放射線による影響は累積で見積らねばならず、政府勧告に背いて現状の暮らしを維持することはできない。“小雨”であっても無防備に浴び続ける訳にはいかないのだ。
“放射線にによる健康リスク”だけを回避するのであれば、他地域への全村避難が手っ取り早いし、村長に対する外部からの批判もかわすことができただろう。しかし、村と人が不可分である地域の事情――「避難によるリスク」を織り込んだ上で、「全村避難か否か」のイージーな二択を越え、国を相手取ってしたたかな決断を下した。


●今更「避難しろ」って言われても……。
「計画避難区域」に指定され、全村避難を求められた飯舘村の回答は――



*「計画避難区域」とは。
 福島第一原発から20㎞圏内は立ち入りが禁じられた「警戒区域」。その周縁に位置し、年間累積放射線量が20ミリシーベルトに達すると予測される地域が原子力災害対策特別措置法により計画避難区域と位置づけられている。
 つまりは「危ないからすぐ避難しなさい」とされた地域と、「安全に生活できる」とされている地域との境界上に位置し、「みんなボチボチ避難すべし」と後からお達しが届いた区域。


 健康に影響が出る年間20シーベルトを越える放射線を浴びる可能性があるとして、4/22飯舘村は計画避難区域に指定され、計画的な全村避難を求められた。目安は約1ヶ月間。全国各地に村民を分散させ、村は廃村に――すれば、「村を守りたいだけの殺人者」という外部からの非難が村長に向けられることもなかっただろう。生活を営んできた土地と共同体を守ること自体が、村民の安全と安心を確保に不可欠だと判断し、長野などの遠方の引き受け手を断り、近隣(飯舘村まで一時間以内で通える距離が目安)への避難をスタートさせた。
 「年間20シーベルトを越える放射線を浴びてはいけない」という指針の逆手を取れば「20シーベルト以上浴びなければOK!」。飯舘村では特別養護老人ホームや民間企業など、9事業所が営業を続け、避難先から通勤を続ける村民は約550人(6/30時点)。室内での作業ならば年間20シーベルトを越える放射線を浴びることはないと試算した。 村の機能を可能な限り維持し「いつか帰る」ためには、人気のない村内の防犯対策も欠かせない。400人程度の村民が実働6時間程度、24時間体制で巡回パトロールに就いている。福島県の緊急雇用基金を活用し、パトロールの総事業費8億円のうち約6億円を人件費に充てる(2011年度末まで)。
 唯々諾々と政府決定に従うのでもなく、真っ向から立ち向かうだけでもなく。賢くしたたかに策を練って、村民にとっての安全とは安心とは何かをを探し続けた飯舘村の回答。結果的に避難者の雇用を生み出し、大幅な離散も回避した。



●放射線の「確定的影響」と「確率的影響」
たとえば「1500人の癌死亡者が、放射線の影響にによって1505人に増加するかも知れない」――


たぶん正解のない、個々人によって正解が違うQOL、ひいてはバイオエシックスの分野に掛かりそうだが、飯舘村は「放射線による発ガンリスクの上昇より、避難リスクの回避」を選択した。その背景は、先に述べた避難リスクを重く見てのことだ。

*確定的影響と確率的影響とは
・確定的影響…
短期間の大量被曝(250~500ミリシーベルト以上)により細胞が死滅し、白血球の減少や生殖機能の異常が現れる。
・確率的影響…
飯舘村の村民や、原発作業に当たらない私たち一般市民が気に掛かかるのはこちら。実効線量で100~150ミリシーベルト未満の被曝によって発ガンリスクの上昇につながる。
参考:team nakagawa http://tnakagawa.exblog.jp/15130220/

 「累積年間被曝線量が100ミリシーベルト未満の場合、肥満(200ミリシーベルト相当)やタバコ(1000ミリシーベルト相当)による発ガンリスクの上昇など、統計の誤差に埋もれてしまう」(斗ヶ沢)という。
 放射線による健康被害とはこの場合「将来的な発ガンリスク」を指す。もちろん、飯舘村では放射線の影響を受けやすい妊産婦や乳幼児・子どもの避難を優先させたが、全体としては発ガンリスクの上昇よりも、無理な避難やコミュニティの分散による避難リスクの軽減を選んだ。
 運動不足や喫煙、野菜不足による発ガンリスクと、低線量被曝を並べて比較する斗ヶ沢氏の論は明瞭だが共感を持つことはできなかった。個々人の努力によるリスク回避が不可能だという点において、同列には論ぜられない。また、どうしたって「どちらにせよリスクは少ない方がいい」と感じてしまう。年若い妹が居る身としては特に。
 しかし、氏はだからといって「低線量被曝が安全だ」と論じている訳でもなかった。「『直ちに影響がない』と繰り返す政府の謂は不正確であり、『不妊等の心配はないが将来癌が増加する』と、数値を元に、確率的影響について説明すべき」との主張が基盤ある。根拠を明示した説明がなされれば、発ガンリスクを避けてたとえば「遠方の実家に帰る」も、「今の生活を維持する」も、私たちが、各人各家庭の状況を踏まえて細やかに判断できる。そう、萱野村長と飯舘村が「全村避難」の一語では語れない、多くの村民のベストを模索したように。
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●全員で、必ず帰ろう。「までいな希望プラン」

 6/22日、2年後の全村民の帰村をめざす「までいな希望プラン」が発表された。までいなとは、「丁寧に・真心を込めて」の意。
 一人でも、何処へ行っても暮らしていける――そう考える向きも多いだろう。私も含めて。しかし阪神淡路大震災の後に取りざたされたお年寄りの孤独死や自殺問題を引き合いに出すまでもなく、コミュニティーの崩壊が生命に直結するケースも多々あるのだ。
事業所を残し、基金を活用したパトロールという萱野村長の方針は単なる“雇用の確保”による生活補償にはとどまらない。原発事故収束の目処もつかず、将来の見通も何も立たない中、避難した村民が“村と関わり続けていくルートを維持した”ことになる。村長が掲げる「いつかか必ず、全員でふるさとに帰るんだ」という指針を、生き延びていく為の希望を、行動をもって裏書きしたように思う。




 穏やかに見える村長が、セミナー冒頭で「東京に住んでいる人間にはわからない」と語気を荒げ、終盤に「興味本位で構わないから、一度村に訪れて欲しい」と結んだ。巧まずして安全な首都圏に暮らし、力もなく、できることなど何もない……と、途方に暮れる私たちへのエールになったのではないか。




●開催概要

構想日本第166回J.I.フォーラム「飯舘村から日本の政治を考える」
2011年06月30(日)18:30~/日本財団ビル
萱野典雄村長 福島県飯舘村長
斗ヶ沢秀俊 毎日新聞社 水と緑の地球環境本部長/東京本社編集編成局編集委員
コーディネーター:加藤秀樹 構想日本
ニコニコ動画で配信 http://live.nicovideo.jp/gate/lv53211856" target=

●リンク
・未来へつながる話または私たちにできることをもうひとつ。萱野村長がすすめる、
飯舘っこ未来基金 http://maday-ashita.com/?page_id=81
・たまったま同会場にいた海老名けんたろうさん(茅ヶ崎市議会議員)のブログ
http://ebiken.exblog.jp



(FBより転載)