宝塚歌劇団入団の話が出て、上田先生の出身地奈良へと話題が移りました。

 

先生のご実家は、家の前に丘があったそうなんですが、それは丘ではなく実は古墳だったというお話。これって、奈良県民の方にとってはあるあるなんでしょうか?

 

畝傍山、香具山と大和三山という言葉も出てきた上に、先生は蜘蛛塚、蜘蛛族についても言及されていました。

 

宝塚ファンは、万葉ロマンの世界へと意識が飛んでしまいますね(;^_^A

 

 

 

2018年。関西が豪雨に見舞われ大きな被害があった年に、上田先生は「夏の暑さに気づいた」そうです。

 

 

私のノートには

「消費して癒され、また明日も頑張ろうという気持ち」「疑問」

「違うもの」「宝塚というフォーマットではできない」

とメモがあります。

 

太字部分は上田先生の言葉なんですが、このあたりは私にはちょっと難しくて先生のお話を消化できなかったかもしれません。

私などは、正に「宝塚歌劇団のチケットを買い、観劇して癒されて明日の活力を得て、頑張ることができた人間」なので。

 

 

 

続いて2023年のフランス留学で気づいた日本とフランスの観劇文化の違いについて。

 

劇場は、上田先生ご自身にとって一人で来て観て帰る。無機質な場所。

(関係ないですが、私も一人で観劇派です。)

 

日本のアーティスティックなものは、二極化、分断されていると感じていらっしゃるそうです。

 

文楽・歌舞伎のような芸能を、町の人々が支えてきた。能は足利幕府が保護したが。

 

フランスは昔から国家、王侯貴族がパトロンとなり劇場を作り支えてきた。

今も、地方の町の人々も安価なチケットでアートに触れる機会を国家が多く用意している。劇場は家族と来る所で、社交の場でもあり、お酒と食事も付いてくる。

 

この時、先生は「宴会形式の演劇をしてみたい」ともおっしゃていました。

 

講演会ではスライドが映し出されフランスが援助する「太陽劇団」についても色々とお話がありました。

 

私が特に印象に残ったのは、留学中に現地の人たちと一緒に演劇に関わる中で、知り合ったイラク人男性の話。

 

彼はイラン・イラク戦争の脱走兵。

 

上田先生が受験戦争と戦っている時、彼は命がけの戦いをしていた。その彼から聞いた母の話。

 

彼の母は「泣き女」という仕事をして稼ぎ、17人(←17人ですよ!びっくりビックリしますよね)の子を養った。食べるものが無くても、子どもたちの前で食べる演技をして明るく振舞ったそうです。

 

イラクでは、「泣き女」とは、信仰の場で人を泣かせる演技をする女性のことを言うそうで、その語りは義太夫に似ているとか。

 

専門家によるカウンセリングなど無いところで、人が泣くことで癒される。

抑圧されている社会での暗い面。

 

 

奈良で育った上田先生は「(女が)大学に行く必要があるのか」と言われたそうです。日本の女性が抑圧される苦しみと悲しみは、上田先生のお母さんの姿でもあったようです。

 

イラクの泣き女を必要とする社会と日本をどちらがより苦しいか、単純に比較できませんが、聞いていて胸が痛くなるお話でした。

 

 

太陽劇団では、役者もスタッフも一緒に劇場ロビーを作ることや食事の用意まで共同作業に取り組んだそうです。

 

異なる思考、ボキャブラリー。その中でアートを一緒に作ることは疲れる作業。

人との違いや、理解のできなさなど、日本でも学ぶことはできるが、精神的運動不足にならない。

 

先生は繰り返し、フランスで出会った人々がいかに喋ることを重要視するかお話されました。

 

店で牛乳を買うもの疲れる。

挨拶と社交は必須。

交流し続ける必要がある。

喋らない人は存在しない人として無視される。

とにかくよく喋る。

とりあえず喋る。

失言を気にしない。

人の垣根が少ない。

 

疲れるが日本との違いと思い、しんどくても話す。そうすると元気が出る。

 

 

講演会はここで一区切り。

 

次は、お待ちかね(?)質問コーナーに。

 

 

 

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