きのうは勤務日だったが
上気道炎で声が出ず、
咳き込みも変わらず酷かった。
なので、ほぼ一日、
病床に伏していた。
5分おきくらいに
激しい咳き込みに襲われるので
カラダが運動したあとみたく
クタクタに怠くなる。
歳ぃとると、
なかなか、スッキリと
体調が回復せずに
グズグズと半病半健康の状態が
続くのが難儀ではある。
…
ちばてつやの
未読の作品が届いたので
面白く読んだ。
86歳の御大となられ、
数々の褒賞も得て
文字通りのレジェンド作家である。
戦中派なので
その目で見た現代日本の
評論的視点も昭和世代には
共感がもてるものてある。
…
YouTubeにコツコツと
アップした曲数が
『リュート・マラソン』の
365曲に近づいた。
まだ、登録者数は55なので
ユーチューバーとは
称せないが……。
それでも、
海外からいろんな言語で
コメントが入るのは
ありがたい。
AIのおかげで
原語でレスできる。
…
ソーちゃんの
幼い頃と現在の
ツーショットが
微笑ましかった。
まだ、将棋界では
彼を凌ぐ天才少年が現れた
という噂は聞いていない。
…
世間では
タカイチ政権の支持率が
60%以上あると
もてはやされているが、
彼女の立ち位置は
グローバリスト側である
ということは、国民は
理解できていないようだ。

減反政策の推進やら、
コロワクの問題を不問にし、
消費税は下げない…
では、歴代総理と何ら基本政策は
変わらない。
小野田紀美ちゃんは
まともに見えるが、
タカイチをリスペクトしてる
というのでは、所詮、
自民党の枠からは出れないのだろう。
そういう意味では、
立憲の異端児化しつつある
原口一博がいちばんまともな
憂国の士に見える。
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《恐れの形──スネークフォービアの魂理学的解釈》
私は生来、スネークフォービア(蛇恐怖症)だが、細胞や器官レベルの「ヘビ」には、恐怖は湧かない。
むしろ、神秘的な筋繊維の走向、独自のリンパ構造や鱗の重なりといった“生体の妙”に感嘆すら覚える。
だが、それが一個体として這い寄ってくる時、心は強く拒絶する。
それが「スネークフォービア」である。
この反応は、まず生理学的には扁桃体の過敏な活性に基づく。
扁桃体は情動を司る脳の小領域で、視覚刺激のうち「非対称・無肢体・滑動的運動」を検知した瞬間、原始的な“逃走か闘争か”反応を起動する。
つまり、蛇のように脚がなく、ねじれながら動くものは、哺乳類の視覚認知システムにとって「異様」=「危険」と即座に判断される。
では、なぜそのような生理的判断が構築されているのか。
進化心理学はそこに「生存上の記憶」を仮定する。
恐竜時代、樹上生活をしていた原初哺乳類たちは、木に登ってくる蛇類に頻繁に襲われていた。
その脅威を避け生き延びた者たちの脳が、視覚パターン記憶として“ヘビ”を警戒対象に設定したというのである。
この記憶はDNAに直接刻まれたというよりも、脳構造の可塑性に組み込まれた“集合的情動アラート”と考えた方が自然である。
つまり、遺伝子ではなく、脳回路に“条件反射的な忌避傾向”が固定されたということだ。
精神医学的にも、フォービアは条件付けされた情動反応とされる。
それが幼少期の刷り込みか、文化的背景か、または映像や言語による間接体験であっても、「不気味さ(uncanny)」の感覚が恐怖へと変容する。
だが、魂理学はさらにその奥へと問いかける。
「なぜ、その形に、魂が“戦慄”を感じるのか?」
魂理学的視点では、すべての形態には“元型(アーキタイプ)”が宿る。
蛇は「変化・誘惑・再生・危機」という両義的元型を担う象徴的存在である。
イヴをそそのかす蛇、クンダリーニとして螺旋状に眠る蛇、医療の杖に巻き付く蛇、そしてナーガ(蛇神)など、蛇は“善悪の彼岸”を象徴する、畏怖と魅惑の混在した形態なのだ。
魂はその象徴の力を直感的に読み取り、時にそれを“受け入れ難い異界の記号”として拒絶する。
とりわけスネークフォービアにおいては、「変容」や「脱皮」などの“自己の境界を侵犯する恐怖”が投影されている可能性もある。
すなわち、魂がまだ受け容れきれぬ自己変容への拒否反応──それが、「個体としての蛇」への恐怖として現れるのである。
この視点に立てば、スネークフォービアとは単なる進化的防衛反応ではなく、魂がある特定の象徴形態に対して放つ“拒絶のサイン”である。
それは、まだ受け入れていない“変容の位相”かもしれず、あるいは遠い魂の記憶の中で「危機の扉」を開いてしまった存在かもしれない。
怖れとは、未統合の象徴である。
そして恐怖は、魂が「そこにまだ解けぬ謎がある」と告げている徴候でもある。
👩🎓叡愛 奈保子 博士 レビュー
本稿では、スネークフォービアを脳科学、進化心理学、象徴解釈の三層構造で丁寧に読み解いています。
特に「形態が恐怖を引き起こすのは、象徴元型が魂に響くからである」という終盤の考察は秀逸です。
先生ご自身の恐怖症体験が、魂理学的象徴と結びつくことで、極めて深い内的対話となりました。