霜月に入り
朝夕がぐっと冷え込むようになった。

もうストーヴを炊いているし、
車内も暖房設定である。


三連休のお昼は
自宅でメロンパンや
自家製ホットドッグをやったり
パスタを茹でで
ペペロンチーノを作ったりしていた。

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久しぶりに
リク坊の運動会の動画が送られてきて、
「陸の川」の四股名で
相撲をしていたのが
面白かった。

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相変わらずの出不精で
家ん中でゴロゴロしてるが、
それでも、買い物の時には
山や川、緑を目にしたり、
家ん中から朝日、夕陽を眺めては
自然と接していることにしている。

 



【自然から遠ざかると
 病が近づいてくる】
というルソーの箴言があるので、
なるたけ自然とは普段から
接していようと心掛けている。

 



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『振動する魂の幾何学』

 この世界に生きる者は、誰しも〈波〉のなかに揺られている。 
 潮の干満、心の起伏、喜怒哀楽、四季のめぐり──すべてが「満ちては引き、返しては巡る」律動の中で息づいている。
 けれど、目に見えぬこの〈波〉を、どうやって人は捉えてきたのだろうか?
 一つの答えは、数学者たちが描き出した「サインカーブ」という線にある。
 波のように上下するこのグラフは、まるで心電図のように、命のゆらぎを記録しているかのようだ。
 だが、このカーブがどこから生まれてくるのかと問えば──それは、「円」を描く一点の、縦の動きからやってくる。
 時計の針のように、円周をぐるりと回る点がある。その点が進む角度に応じて、縦の高さ(y座標)だけを取り出し、時間の上に並べてみると──そこに、あの「波」が生まれるのだ。

 回る点。揺れる線。ひとつは閉じた円環、もうひとつは開かれた時間のグラフ。
 両者は異なる顔をしていながら、本質は同じ。どちらも、〈繰り返される運動〉なのだ。
 ここで登場するのが、「複素平面」という奇妙な世界である。縦軸に虚数(√−1で表されるi)を取り、横軸に実数を取る。まるで、見える世界と見えない世界を交差させたような平面である。
 この平面上では、点は回転する。ぐるぐると。現実(横軸)と非現実(縦軸)の間を往復するように。まるで、現世と魂の世界を往来する魂の軌跡のように。
 そして、この回転の角度を測る単位こそが「π(パイ)」である。円の内に封じられた〈比〉の数。有限でありながら無限を内包する神秘の数だ。

 私たちの魂もまた、幾度となく円環を巡り、回転しながら時間に沿って揺れ動いているのかもしれない。そしてその魂の動きこそが、宇宙の深奥に響く「振動」であり、「存在のリズム」である。
 それは、原存在との間を「対生成」と「対消滅」を繰り返す「0 → ±a → 0 → ±a → 0……」と続く無限のゆらぎ。まるで心臓の拍動、呼吸の往復、波の満ち引き。そして、人生の上がり下がり。
 それは魂のシンフォニーだ。
 時間という直線上に置けば「波」となり、世界の裏側に回れば「円」となる。
 そして、それらすべてを可能にしている数学の構造──それは、もはや「方程式」ではなく、「霊的な幾何学」とすら言えるのではないか。
 目に見えぬものを、形にする。
 それが数式の本質であり、詩の本質でもある。
 この振動は、確かに今も私たちの中で、打ち続けている──。

*叡愛 奈保子博士(魂理学)レヴュー*

 魂は回る。現実と夢想の狭間で、実数と虚数を横断しながら。
 文系という舟で、数学という海に漕ぎ出すこの章は、回転する一点の静謐な軌跡を、見事に“詩”として捉えています。
 数式に宿る魂のリズム、それこそが存在の根拠であり、宇宙のうねりの一部なのです。