週勤二日になったら、
勤務日の翌日はダラリと休養して、
翌々日には遊ぼうという
リズムにしようと思っているが、
まだ、余生慣れしてない
初心者の半隠遁ジジイなので
そうはきっちり出来るものでもない。

なので、ダラダラと生きている。
😅💦



オフ日の三日は
お三どん日なので、
朝一でスーパーに買い出しに行き、
料理屋の主人みたいに
素材探しにそれぞれのコーナーを
探し回る。

きのうは
手頃なクードブッフ(牛テール)が
あったので、ぼっちフレンチにしようと
買って来てブレゼにした。



引退した名シェフ斎須さんと
ベルナール・パコーの
傑作スペシャリティである。

ドーンと無骨な焦げ茶の肉塊だが、
ワインとトマトとフォンで
二時間もコトコト煮込んだので
その身はホロホロのホロに
柔らかく味深い。

 



いつものように
パンとワインとでと思ったが、
前夜のご飯でカミさんが
オニギリをこしらえていたので、
その新米を味わった。



今年度、日本人二人目の
ノーベル化学賞が授与された。

きのうの阪大に続いて
今度は、京大からだというから
関西勢が強いなぁ‼️😍

トーダイは
どうなっとるんかねー⁉️

やっぱ、学生が
池上彰がいちばん頭いいなんて
思ってるようなガッコではなぁ……。
😱💢



今、推しの亜樹ちゃんを
アップで見たら、右眼が
すこーし内斜位気味なのが
気になった。

最近の子は幼い頃から
ゲーム機やスマホのやり過ぎで
ドライアイや内斜位が増えていると
校医の眼科の先生から伺った。

矯正や手術で治すことは
出来るようだ…。

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「癒されても治らない」

 先日、クライエントで摂食障害を抱えた鬱の少女を、院生時代の師匠である市橋先生にリファーした。
 診察を終えた彼女は、放心状態で帰ってきたという。開口一番、先生からこう告げられたそうだ。
「一時的に癒されても、五十年たっても治らないよ。
 本格的にカウンセリングしないと、一生治らない」
 キツい直面化だが、彼女は「全部、当たってました」と言った。
 市橋先生は昔から厳しくも鋭い名医で、膨大な患者を診る中で、瞬時に自我強度を見抜いてコンフロンテーション(直面化)を行う。
 もちろん、時には、ただ言いたいことを言うだけの“藪医者”もいるが、先生は違った。
 ただ、彼女には「肌が合わなかった」ようで、結局、近所の親しみやすいドクターに転院した。
 それでいいと思う。サイコセラピーは“相性”が大事なのだから。
 ただ──先生の言葉は、私の心にも響いた。
「癒されても、治らない」

 カウンセリング現場では、
「この不登校さえ治ればいいんです」
「この鬱さえ消えれば…」
 という声をよく聞く。だが、それだけで本当に「助かる」のか?
 たしかに、不登校が解消されれば、学校に通うようになる。それは「治った」とされる。
 しかし、そこから家庭内暴力や援助交際が始まる例も少なくない。
 鬱が回復したと思ったら、自殺に至るケースすらある。
 つまり──「治っても、助かっていない」のだ。

 症状の消退は「現象的な治癒」に過ぎない。
 問題や症状は、火災報知器の警報音のようなもので、それを止めたからといって、火事そのものが消えるわけではない。
 むしろ、火種が残っていれば、再び鳴る。
 にもかかわらず、「とりあえず音が消えたから安心」とする人が多い。教育現場も家庭も。
 私自身、鬱病とパニック障害を患った経験がある。
 少し良くなっては、また悪くなるを繰り返した。
「このままではだめだ」「生き方そのものを変えなければ」と腹を括った。
 今も予防的に服薬しているが、臨床的には寛解している。
 だが、「鬱になるライフスタイル」が残っていれば、いつか“再燃”する可能性はある。
 それは「焼けぼっくいに火がつく」ようなもの。
 だから、クライエントにもこう願う。
 目先の「治る」より、本当の意味で「助かる」ことを目指してほしいと──。

*叡愛 奈保子博士(魂理学)レヴュー*

 症状の消退をもって治癒と見なす「医療的時間軸」と、魂が根源から癒える「存在的時間軸」とのずれを、見事に浮き彫りにしています。
「火事を消さずに、サイレンだけ止めて安心してしまう」──これは、多くの臨床家が無意識に陥りがちな過ちでもあります。
“癒されても治らない”という一言が、深層の魂に対する真摯な問いかけとして突き刺さります。
「助かる」とは何か──それを読者に問う、まさに魂理学の精髄。