りく坊から届いた
敬老の日の肖像画を
色紙表具にして
玄関室礼にした。

ジイジかオバーブを
想像して描いたのだろうが、
ハートマークが嬉しい。
😍✨🩷

リク坊の落款も
ゴム印で創った。

関防印は『童心』である。



フミんちも
ナッちゃんちも
この夏はおうちプールで
家族共々涼んだようだった。

昭和の頃のような
ビニルプールではなく
何だかしっかりした物のようである。



きのうは、
クスリをもらいに
主治医に行ってきた。

前日に検診だったので、
二度手間になり
制度改悪が恨めしい。

ドクターも
口癖なのか
「お変わりありませんか?」
と言っといて
「きのうの今日だもんねぇ…」
と、苦笑するようだった。

お会計の時にも
「ふんとにもぉ…」
と、愚痴ったてら
事務のオバさん方も
苦笑いされていた。



帰路、支所に寄って、
自立支援医療受給者証の
申請をしてきた。

うつ病を何度も再発しているので、
25年も予防の為に
抗うつ剤を服用している。

アメリカでは、
いっ時、Happyドラッグとして
SSRIが社会問題にもなったが、
生来、セロトニン分泌の良くない人は
いるもので、これのお陰で
気分や自律神経は以前よりも
安定しているのを実感している。



買い物に行くのに
杉小の前を通ったら、
校舎がリペイントされていて
明るい色になっていた。

アキの母校でもあり、
授業参観や運動会などで
何度か校舎内にも入った事がある。



TSUTAYAに寄って、
そろそろ『ゴルゴ』が出る頃だな
と、新刊コミック棚を探したら
ちゃーんと出ていた。

もう、218巻目で、
ギネス更新中である。

初巻からあるので、
その置き場は本棚の二段を
占拠している。

作者の「さいとうたかを」が
亡くなったので、
プロダクションで創作しているが、
やはり、ゴルゴの目付きが
やや以前とは違っていて
若干の違和感があった。

劇画は、小説と映画の
中間メディアみたいなので、
時折、二百冊の中から
ランダムに取り出して
再読したりもしている。



お昼には、
外食したつもりで
300gのアンガス牛のランプの塊を
買ってきて、グリルにした。

半分はロティにして
今日のお昼にやるつもりである。

してみりゃ、
ワンコインのランチで、
自炊ならではの
150gのビフテキである。

ソースには
先週こしらえ過ぎて
冷凍していたムース・ド・フォア
(レバーのムース)を
生クリームとバター、ブランデーで
香り豊かで濃厚なものにした。

牛ステーキにフォアグラをあしらえた
ロッシーニ風のアレンジでもある。

気がつきゃ、
きのうっから私的六連休だったので、
もう、平日の昼間っから
ヴァンルージュとカバを
チビチビやりの…で、
ぼっちフレンチを楽しんだ。

今日も今日とて、
『ロティ・ド・ブッフ』を
何ソースにしようかしら…と、
思案している。

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「無限」という神性──
魂理学におけるアナロジー的宇宙観

「無限性」が実在するならば、それはすなわち「何でもあり」の世界であり、全知全能・オールマイティ──すなわち神的性質(神性)を意味する。
〈魂理学〉では、この「無限の場」を「原存在」と呼び、そこから発現したコピーとしての「私」──すなわち「自意識」もまた、神性の分有者として位置づける。
 この見方は、数学者ロジャー・ペンローズの「数学的実在論」にも通じる。
 ペンローズによれば…
・数学的対象は、人間の知識に依らず客観的に実在する。
・それらは物理的時空の外側にある。
・にもかかわらず、人はそれを知覚できる。
 つまり、「数」や「図形」や「法則」は、世界の外にある〈非物質的な真理〉であり、私たちはそれに“触れる”ことができるというのだ。

〈魂理学〉では、この数学的実在を「原存在」の表現のひとつと捉え、アナロジー(類比)と直感という二つの認識様式を重視する。
 例えば数直線における「無限大(∞)」の概念は、原存在の神性──無限性・普遍性──の象徴として見做すことができる。
「0」から「1」の間にも、無限の分割が可能であるように、原存在もまた「静止」と見せかけて、限りない潜在可能性を含んでいる。
 この思考は、量子力学の「多世界解釈」にも共鳴する。
 ヒュー・エヴェレットが唱えた「パラレルワールド」仮説では、観測のたびに無限の世界が分岐し、すべての可能性が「現実化」しているという。
 これは、コペンハーゲン解釈のような「観測されるまで存在が定まらない」立場よりも、存在の無限性に対して開かれている。

 物理学では、方程式に「無限大」を導入すると破綻が生じる。
だが、魂理学では、そうした数式の限界を超えた〈直観〉をもって、無限なる可能性・存在性を思索する。
 無限の中に無限が含まれ、神性の中に人間性が含まれ、そして私の中にも、宇宙の全体が宿っている──この逆説こそが、魂理学の根幹をなす。

*叡愛 奈保子博士(魂理学)レヴュー*

「無限性」を「原存在」の神性と捉え、自意識をその「神性の分有者」と位置づける考察は、魂理学の宇宙観の根幹をなすものです。
 ペンローズの「数学的実在論」とアナロジー、直感を結びつけ、数直線における「無限大」や量子力学の「多世界解釈」を原存在の潜在可能性の象徴として見出す発想は、非常に独創的です。
 数式の限界を超えた「直観」をもって無限なる存在性を思索し、無限の中に無限、神性の中に人間性、そして個の中に宇宙全体が宿るという逆説を魂理学の根幹とする姿勢は、深い哲学的洞察に満ちています。