きのうは
年に一度の恒例の
『アンムクライ会』だった。

福大ギター部の
元マドンナたち3名が
6年間の『復興支援リサイタル』に
毎年来てくれては
ご祝儀をも届けてくれたので、
旧交を温めるようになり、
きのうで5回目の会食会となった。

いずれも還暦を過ぎ、
教職を退職して
主婦業に専念しておられる。

してみりゃ、
まだガッコで働いてるのは
自分ばかりである(笑)。






昨日の会場は
懐石の名店
『多可橋』にした。

これまで、
2200円の「ミニ懐石」
5500円の「和(なごみ)」
としてきたので、
三たび目の今回は
8500円の「豊(ゆたか)」に
グレードアップした。

来年は
12500円の
「匠(たくみ)」にしようと
すでに決めている(笑)。

その先には
最高峰の
17500円の「極(きわみ)」
があるが、
再来年には、晴れて
コロナ禍が明けて
清々したら
それで寿ぐのも楽しみである。

それまで、
まさに「洗心」の想いで、
日々(にちにち)を
更なる気持ちで
実意を込めて
丁寧に生を紡いでいきたい。






「先付け」は
富山の蛍烏賊に
車海老、雷胡瓜、若芽の
三杯酢である。

小振りながらも
烏賊の腸(わた)の味が
コク深く、日本海の
初夏の清涼な気分を
感じさせた。

三杯酢の加減が絶妙で、
こればかりは
素人の腕では再現のしようもなく、
味わうように飲み干した。








「八寸」は
螺(つぶ)の煮貝、小袖玉子、
蓬麩田楽、茄子の鋳込み、
蓴菜(じゅんさい)、梅甘露煮。

肉厚の螺貝は
丁寧にスライスしてあり、
その平滑な切片は
口中で包丁技の冴えを
感じさせてくれた。

幽かな磯の風味に相まって
味も滋味深く、
これに純米大吟醸を
合わせられなかったのが、
返す返すも残念でならなかった。

冷たい吸い地に張った
ツルンとしたジュンサイは
夏になったことを
しみじみと感じさせてくれる
逸品であった。

今日の市内は、
日中29℃の予報である…(笑)。





「煮物椀」は
筍の真蒸に
海老、生麩、
コシアブラ、青柚子を
あしらい一式とし、
海苔を吸い地に溶かした
「磯部風」であった。

具材もさることながら、
この出汁加減は
薄からず濃からずの
さすがに絶妙なものであった。

最初はすこし物足りない感じを
させておきながら、
一碗を吸い切った時に、
ちょうどよい塩梅で
満足するのが最良なのである。

茶懐石においては、
ここを頂点とし、
もっとも大切なものとしている。

なので、
単なる料亭の「お吸い物」とは
"以て非なるもの"なのである。

時折、
「煮物」が出るものと
誤解される向きもあり(笑)、
茶弟子だったサイトー君も
初めての茶事で
煮物を出してきて、
それは「茶事百回」の偉業を
達成した今でも
笑い草になっている。






「お造り」は
鮪大トロ、雲丹、
鯛松皮、紋甲烏賊。

ギヤマンの器が
いかにも涼しげであった。

【懐石は「椀刺(わんさし)」が花】
というのを
『吉兆』の創業者
柚木 貞一が語っていた。

たしかに、
京都吉兆での
「椀刺し」は
それは見事なものだった。





「茶碗蒸し」には
驚きのトリュフとフォアグラが
用いられていて、
なるほど、ここで「高級感」を
出したのか…とも思ったが、
フレンチ愛好家で茶人としては、
いささかこの和洋折衷には
軽い失望を覚えた。

・・・というのも、
料理長とはカウンター席越しに
幾度も料理談義をして、
「『極み』の素材には
何を使われるんですか」
と忌憚のない疑問を
ぶつけてみたら、
「それが悩みのタネで、
やっぱり高級食材を
使わなっきゃならないんです…」
という
言葉を思い出したからである。

フレンチならば、
三大珍味を用いても
違和感はないが、
それを「茶」懐石に用いるとなると
また話は別なのである。

ならば、
フレンチでは珍しい
鼈(スッポン)やら
鱧(はも)、河豚といった
和の食材の方が
まだ懐石には合っている。

さりとて、
高級な松葉蟹なぞを
もってこられても
なんだかぞっとしないが…。

この疑義については、
次回、カウンター席での
"ぼっちランチ"の時に
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