二日のオフ日を、
一日は、アレルギー性鼻炎の
養生に過ごし、
昨日は、今日の学校勤務のための
念のための静養日とした。

でも、
何もせんと、
さすがに気が咎めるので、
スコア勉強したり、
YouTubeの宇宙論なぞを眺めて
「インプット」の時間にした。




朝方、隣の寝室から
書斎に入ると、
ちょうど朝日が
東側のお客様用玄関の
階段から射し込んで、
なんだか、ちっと
神々しく感じられた。

前日に、
YouTubeで『臨死体験』のサイトを
見ていたから、死後に見る
「大いなる光」を
連想させたのかもしれない。

同時に、
ズラリと並んだ書架の本やら
楽譜類を一瞥して、
ずいぶん「インプット」もしてきて、
毎朝、ブログ類や自家版著作を
「アウトプット」してるんだから、
オフ日にちっとくらい
ゴロゴロしても「よし」とするか・・・と、
自分に寛容になれた・・・(笑)。

朝一の陽光から、
なんだか啓発、啓蒙されたような
気分だった。

ついでに、
「enlightening」
を英英辞典で調べてみたら、
「giving you more information
and understanding of something」
だそうで、ナルホドなぁ・・・と、
感じた。

我われ生き物すべては、
比喩的でなく
「太陽の子」なのである。

太陽エネルギーにより
植物が水を光分解し、
炭酸同化(光合成)して、
動物はそこから有機物を得て
細胞内でATPという化学エネルギーに
変換している。

聖書のラテン語には
有名な「光」の一句がある。

「Dixitque Deus
"Fiat lux!"
Et facta est lux」

(神は云った。
「光あれ!」
すると光が出来た)

ここから、照度の単位が
「ルクス」となった。

最近では、
量子論での「光子」の性質について
YouTubeで勉強しているが、
二重スリット実験を見ることで
「粒子であり波動である」
という事が
すっかり脳内に定着した。





家の片づけで、
箪笥の奥から
いくつかの賞状筒を見つけて、
中で「小5」で取った
唯一の書展の一枚があった。

重症小児喘息で
小学校1~5年までは、
入院ばかりしていた
少年時代だったので、
ろくろく「字」を習得する
機会が持てなかったし、
書道も習っていなかった。

でも、小5の「書初め」には、
気合を入れて、
筆に魂を込めて
端正な字を書けた感触を
未だに覚えている。

未だに字の下手な人間が
快心の出来だったので、
それで「特選」を貰ったのは
きっと不思議な気分だったのだろう。

なので、賞状を授与された時の
嬉しさは全く覚えていない。

Eテレの録画で見た
『奇跡のレッスン』
「書くことは人生と向き合うこと」で、
中国の書家・熊峰(ユウホウ)師の
興味深い指導で、子どもたちの書く字が
どんどん変化していくのに
驚いてしまった。

中でも、中学の書道部で、
「あんまし部活が楽しくない」
と言っていた女の子が、
ユウホウ師のレッスンを受けて、
手本にそっくりの字を書き
「これは、僕の字だ」
と言われて感激して、
「なんだか、楽しくなってきた」
と喜んでいたのが印象的だった。

同じエピソードを、
PC前に飾ってある
書家の碧水先生の字を見ながら
思い出した。

ある日、先生は
師匠から
「どっちが自分の字か
区別がつかない」
と言われるまでになったという。

それで、
とうとう書の骨法を体得して、
それからは自由な自分流の
独創的な字が書けるようになった、
と仰っておられた。

その先生の貴重な書を
日々、眺めては、
自分も「いい字」が書きたいなぁ・・・と、
心に憧れを抱きながら、
遊び半分で字の練習をしている。




YouTubeでの『宇宙論』が
面白いので、飽きずに、
毎日のように見ている。

今は、ホーキング博士の唱えた
「虚数の時間」について
勉強している処だが、
「i二乗が-1になる」
という虚数の理解からして難解だが、
あちこちから検討してみたら、
なんだかボンヤリと
それを設定する意味が
解かってきたような気がする。

プロの学者が用いてる高等数学は
とうてい理解できないが、
そこから、こういうことが言える、
ということを我々凡人は
総合的に把握して理解するよりない。

それにより、
「宇宙」や「自分」というものが
究極的に理解できるのなら、
やるに値する分野である。

かっこよく言えば、
コスモロジカル・アイデンティティを
確立したいのである。