きのうは
日中31℃にもなったが、
研修会のため街中の会場まで
出向いてきた。

なにせ、
熱中症体質なので、
用心に越したことはなく、
遠く離れた駐車場から
炎天下を5分ほど歩くのにも
首にアイスバンドを巻き
しっかりパナマ帽をかぶった。

以前も、
真夏の研修会で
この格好で出向いたら、
院の大先輩でもあるY先生から
「どーしたの?
ムチ打ち症かと思った」
と心配された。

昨日も、
お会いしたら、
「大丈夫?」
と、心配して頂いた。

去年、今年と
班別検討では偶然にも
先生と同班になり、
ドクターたちとの
《サイコセラピー研究会》で
25年来の仲間でもあり、
共に高校教員上がりでもあるので、
楽しく討議させて頂いた。

SC(スクールカウンセラー)制度は、
平成7年に文科省の研究事業として導入され、
Ⅰ期はY先生他ふたりの
3人体制からスタートし、
自分はⅡ期の10人体制から
この仕事が始まった。

なので、
「私たちはシーラカンスですので・・・」
という自慢半分・自虐半分の
自己紹介に、若いSCたちから
驚きと笑いを買った。

今でこそ、
県内の全中学・高校には
SCが配置されたが、
そもそもはシーラカンス世代が
研究費をもらって
ゼロからカウンセリング体制を整備し、
生徒・教員・保護者を啓蒙、教育し、
文科省へも研究報告をして
パイロット・モデルを作ってきたことから
始まったのである。

黎明期のⅠ期・Ⅱ期SCは
自分とY先生の二人だけになってしまい、
文字通りのシーラカンス世代である(笑)。

Y先生は70台の今も
元気溌剌で自転車に乗っておられ、
きのうも
「いや~。先生お元気ですねぇ。
 なんだか、勇気を頂きましたぁ」
と談笑させて頂いた。





事例提供者のケースを
2時間近く全員で検討したが、
レジュメが真っ赤になるほど
ブレーン・ストーミングが起こって、
若いSCに有意義な助言が出来た。

かつて、
《サイコセラピー研究会》や
《ユング心理学研究会》で
10年ほどケース研究をやってきて、
ケース論文も何本か発表してきたので、
事例検討会は好きなのである。

とは言うものの、
現役SCなので、
現在、自分の持つクライアントたちで
頻回リスカを繰り返すBPD(境界例)や
ASD(自閉スペクトラム症)の重篤ケースでは、
なかなか大変な思いをさせられている。

それでも、なんとか、
対応できているのは、
経験的バックボーンとして、
京都で阪先生から受けた
4年間の教育分析や、
これまで数多の研究会で
発表やスーパーバイズなどの
研修を積んできた“体験知”が
自信と支えとなっているからである。

また、学識的バックボーンとしては、
京都での河合先生の7年間のセミナーと
以後の先生の200冊あまりの御著書の読破、
大学院時代の市橋先生(精神病理学)、
昼田先生(精神病理学)、
小野先生(臨床心理学)からの薫陶、
そして、70年代からの学会論文の“読み勉”
というものがある。

これらの“体験知”と“学識知”の
両方が合わさって
己れの臨床家としての
アイデンティティを形成している。

それと、
還暦過ぎて、
2年間の猛勉強により
国家資格を得たことも、
医療・教育・福祉・司法・労働の
多領域の体系的知を得るという
いい自学期間で、
そのライセンスも自信となった。

やるな!
シーラカンス(笑)。

┐(´Д`|||)┌ ジガジーサン

でも、
古代魚はやがては
滅びゆくのが運命であり、
「老兵は消え去るのみ」
の定めでもある。

 うらを見せ
  おもてを見せて
   散るもみじ

         良寛





野球帽をかぶっていた
小学生の頃のイメージが
今だにあるので、
ついつい羽生ちゃんと
呼んでいるが、
その大天才・羽生ちゃんが、
とうとう歴代最多勝数の
「金字塔」をおっ立てた。

アベマのテレビ対局で
まだ学生服を着ていた
中学生のソータに負けた時、
「あれで、スイッチが入った。
 藤井先生には感謝している」
と奥さんの畠田 理恵が
ツイッターで言っていた。

自らも中学生棋士であったので、
その圧倒的強さに破れ、
「もう、彼は信じ難いことに、
現時点ですでに完成している」
と評して、
「自分の中学生の頃よりも、
圧倒的に彼の方が強い」
と絶賛した。

その後のソータとの対局では、
1勝2敗と負け越している。

歴代勝数1位、
タイトル獲得99期、
永世七冠という大棋士、
現時点では棋界の最高峰に
勝ち越しているソータが
いかに凄い存在かが知れよう。

今朝の朝刊には
ソータの「子どもセミナー」での
講演記事も載っていた。

そして、羽生・ソータという
二大天才の共通点として、
「敗北」「失敗」「ダメージ」を
「ひきずらない」
ということを金言として
述べている。

「しっかり寝て忘れること」
というのもいい。

そうは言うものの、
彼らは、負けた将棋について、
AIソフトを用いて、
己の頭脳をフルにコミットさせて
それを分析・検討している。

「悔しさ」「悲しさ」といった
辛い気持ちは、
寝て忘れられるが、
「敗因」については
冷静に分析して、
以後、同じ轍を踏まない、
というのが天才の天才たる所以であろう。

かれらの、
勇気を持って、
踏み込むべきときは
一命を賭して踏み込む、
という勝負術も処世術の
参考にもなる。

ニュアンスは異なるが、
河合先生の
「百点をとらなきゃいけない時がある」
というのは
将棋でいうところの
「勝負手」なのかもしれない。






閑職となり、
半隠遁の半隠居なので、
過去の想い出を振り返る時間を
意識してとるようにしている。

現役世代の壮年期の頃は、
忙しすぎて過去を顧みる余裕なぞ
なかった。

還暦を過ぎて
セミ・リタイアメントになった
今だからこそ、
これまでの人生の道行きを
アルバムや手紙なぞを見て
しみじみと味わっている。

そういう意味では、
メモリアル物や
アニバーサリー物、
家族イベント物をいろんな形で
残してきて良かった。

ダンボール5箱分くらいあるが、
押入れの中で塩漬けになってるより、
寸暇を見て、閲覧して、
ブログアップして
味わおうと思っている。

斯くばかりの振る舞いは、
老人になってきたという
証拠なのだろう。

 おしなべて
  味わひ深き人の生(よ)を
   歩まんとする
    今日より君は

          上田三四二