今日から出勤・・・
の予定だったが、
おとついから
副鼻腔炎を併発し
顔面痛と倦怠感で
耳鼻科通院でレントゲン、
鼻腔内洗浄、抗生剤治療となった。





かかりつけの
S医院が木曜定休で
行ったら閉ってたので、
仕方なく近所にある
新しいM医院に初めて行ってみた。

叔母やネットの評判がいいので、
どんなもんだろう・・・と、
新奇好きの好奇心丸出しで
初医院を味わってみた。

Sセンセんとこは
いっつもヒマだから、
待ち時間5分以内が常だが、
いや~、待たされた、待たされた、
1時間数十分は苦痛の部類である。

なので、
ここは初診以外は
時間予約制があるそうな。

事務や看護スタッフも多くって
ざっと6、7人いた。

Sセンセんとこは
たしかスタッフは
二人だけだった。

耳鼻科で
レントゲン撮られたのは、
大学生の頃の
肥厚性鼻炎の手術以来である。

Sセンセんとこでは、
副鼻腔炎で一々
レントゲン撮らんもんね(笑)。

吸入やって、
クスリもらって
はいオワリで15分くらい。

アクセス・タイムとしては
快適の部類である(笑)。

でも、
よくレントゲン撮られるT歯科の
センセに言わせると、
1年に一回くらい撮ってた方が
稀に腫瘍が見つかって
助かる人がいるそうな。

そうなんかなぁ・・・と、
変に納得しちまった。

なので、
40年ぶりに
鼻レントゲン撮って、
腫瘍はなさそうだったので
安心にはなった。
(ちっちゃなハナタケは生えてた・・・笑)。

ドクターから
「蓄膿症だねぃ」
と言われて、
「えっ?
副鼻腔炎じゃないんですか?」
と質したら、
「蓄膿症というのは俗称で、
副鼻腔炎は医療用語なんですよ」
と言われて驚いた。

今まで、
まったく別もんと思ってた(笑)。

レントゲン画像には
右っ側は明るく、
左っ側が暗く写ってた。

つまり、
膿が溜まってるからという。

なるほど。
素人目にもよく判る。

そして、
ついでに、
「強度の鼻中核湾曲症だねぃ」
と言われた。

「大学時代の
肥厚性鼻炎手術の時にも
言われてたので、
知ってたんですけど、
恐くて手術できなかったんです」
と言うと
「そうだろうね。
みんな、そうだから・・・」
と残念そうにドクター。

そのせいで
副鼻腔炎になるんだよ、
と言いたげであったが、
その説明用紙にも
しっかり原因になっていた。

「Sセンセところは
木曜休診なんですよね」
と、事情を察してか、
代打診療をあまり
快く思われてなかったような
ドクターの口ぶり・態度だった。

やっぱ、
そーいうもんなのかなー・・・と、
患者は痛むホッペタを
おさえながら会計を済ました。





きのうが納車予定だったが、
行ってみたら
二人車屋さんの二人っとも不在で、
あらま・・・だった。

(_ _。) ガクッ

シャチョーに
ケータイしたら、
ETCの切り替えに不具合があって、
今、業者で、読み込み作業してるので
明日になるとのことだった。

あらま・・・。

(o*。_。)o ガクッ・・・

せっかく
取りに来たのにぃ・・・。

仕方なく、目の前の
「ご成約車」の
下げ札を
“撮って”だけきた。





きのう
アマゾンから届いた
中島義道(よしみ)っつぁんの
新刊「哲学エッセイ」が面白くて
一気読みしてしまった。

ここん処、
ずっと物語・小説づいていたので、
久しぶりの実用書で新鮮だった。

そして、
長年の疑問である、
「なぜ「私」の身体に
「私」という意識が生じたのか」
という問題と
真っ向から取り組んでいて、
「死」に関しては
驚くような結論が語られ
衝撃を受けた。

----はじめから無であるものは、
  さらに無にはなれない----

というテーゼが、
時間論、存在論、認識論、
から懇切丁寧に説明されて
反論の余地がなかった。

義道さんは
強固の偏屈だが、何物にも媚びず、
一本芯の通った爺様なので
信頼してこれまで
数十冊を読んできた。

唯一、慣れ親しんでいる
哲学者である。

これにインスパイアされて、
書庫にあった脳科学者の
『私は脳のどこにあるのか』を
再読してみたくなった。

この療養中に、
なにか新しき良きことが、
始まりそうな予感を
漠然と抱いていたが、
「私」「時間」「存在」「宇宙」
という形而上的な命題と
もいちど正面から真摯に向き合って、
自分なりの納得がいくように
追求してみたい意欲を
新刊書が湧かせてくれた。