夏休みに入り、
大学ギター部から招聘されて
新入生のレッスンをしてきた。
いちおう
OBOG会の会長という
名ばかり職なので、
もう10年近く
ボランティア指導している。
はじめて、
警備室のゲート前に停めて、
整備された裏山の森林内を抜けて
学生会館前にたどりついた。
学生の頃、
練習室として使っていた
2階の第一会議室だったので、
懐かしく感じた。
今年は
新入生が男子一人のみ
というお寒い年で、
これはギター部存続が
危ぶまれた。
現在14名の所帯のようだ。
カミさんと同じ
山形出身で、
ピアノ、ブラス歴のある子だったので、
飲み込みがはやく、
一時間のレッスンで
かなり弾けるところまで
到達した。
でも、部内では
技術指導できる先輩が
いないようで、
新入生は毎年、
放置プレイのようである。

きのうは
35.7℃という
猛暑日だったので、
熱中症予防のために
首にアイスバンドを巻いて
出向いた。
このアイスバンド、
正式名称はなく、
商品数だけ銘々に
ネーミングが違う。
曰く・・・
氷結ベルト、
ネッククーラー、クールマフラー 、
エリクール、クールバンダナ、
ひんやりループ、冷却スカーフ、
ひんやりスカーフ、ひんやり首もとバンド
・・・などなど。
「エリクール」なんか
ティッシュペーパーみたいだが、
造語としてはオモロイ。

きのう、おとついと、
連載心理サイトの閲覧数が
一日あたり2.000人を
突破して驚いている。
きのうは
2.179と最高を記録した。
そんなに
読まれていると、
なんだか嬉しくもあるが、
おいおい大丈夫かよ、
という気にもなる。
もっとも、
これまで、最高だったのは、
音楽業界を揺るがした
『佐村河内事件の深層心理分析』を
連載したときに、
一日あたり3.000人を越えたことがある。
ブロガーは、
このカウンター数が
執筆動機を高めてくれるので、
ありがたいには、ありがたい。
その後ろ立てのおかげで、
2年間毎日休まず
更新してきた。
そろそろ、
この連載も終わりにして
新しいテーマに取り組もうかとも
考えている。

『100分de名著』の録画を視て、
自分が読み落としていた部分が
解説されていて愕然とした。
落語の『道灌』じゃないが、
「俺もまだまだ歌道に暗いなぁ」
という気分になった。
なので、
何度となく読み返していた
名著『昔話と日本人の心』
を再読した。
赤線、青線、付箋、書き込みだらけで、
もはや本でありながらノート状態だが、
番組で解説されていた処は
無印だったので、
忸怩たる思いがした。
それでも、
新たな発見があり、
さすが、河合先生だなぁ・・・と、
再度、尊崇の念を抱いた。
昨晩は、寝床のなかで、
あの時のあれが、
これだったのか・・・と、
思い当たり、起き出して
ノートに書き出した。
***
「あわれ」とは、
我われの物語に即して言えば、
完結に至る寸前における
プロセスの突然の停止にって
引き起こされる美的感情である。
(物語の『鶯の里』では)
哀しく立ち去っていく
鶯の姿によって
我われの美意識は完成される。
+++
「何も起こらなかった」
という英語
「Noting has happened」
は、「無」が生じたとも言える。
それは、ネガティヴなものでなく、
意識/無意識、日常/非日常という
あらゆる対立を越えて
全てを包摂し「円」へと変貌する。
それは「無」であり「有」であるのだ。
+++
日本の典型的物語である
『鶯の里』『浦島太郎』
『鶴女房』『雪女』などは、
それが「無」の解釈なのであり、
それをさらに分析・解釈するようなことは、
屋上屋を架すが如しなのである、
という河合先生の卓見には
目を覚めさせられた。
自分はいったい
河合隼雄全集の
何を何処を読んできたのだろうか、
と自己反省した
夏休み初日であった。
大学ギター部から招聘されて
新入生のレッスンをしてきた。
いちおう
OBOG会の会長という
名ばかり職なので、
もう10年近く
ボランティア指導している。
はじめて、
警備室のゲート前に停めて、
整備された裏山の森林内を抜けて
学生会館前にたどりついた。
学生の頃、
練習室として使っていた
2階の第一会議室だったので、
懐かしく感じた。
今年は
新入生が男子一人のみ
というお寒い年で、
これはギター部存続が
危ぶまれた。
現在14名の所帯のようだ。
カミさんと同じ
山形出身で、
ピアノ、ブラス歴のある子だったので、
飲み込みがはやく、
一時間のレッスンで
かなり弾けるところまで
到達した。
でも、部内では
技術指導できる先輩が
いないようで、
新入生は毎年、
放置プレイのようである。

きのうは
35.7℃という
猛暑日だったので、
熱中症予防のために
首にアイスバンドを巻いて
出向いた。
このアイスバンド、
正式名称はなく、
商品数だけ銘々に
ネーミングが違う。
曰く・・・
氷結ベルト、
ネッククーラー、クールマフラー 、
エリクール、クールバンダナ、
ひんやりループ、冷却スカーフ、
ひんやりスカーフ、ひんやり首もとバンド
・・・などなど。
「エリクール」なんか
ティッシュペーパーみたいだが、
造語としてはオモロイ。

きのう、おとついと、
連載心理サイトの閲覧数が
一日あたり2.000人を
突破して驚いている。
きのうは
2.179と最高を記録した。
そんなに
読まれていると、
なんだか嬉しくもあるが、
おいおい大丈夫かよ、
という気にもなる。
もっとも、
これまで、最高だったのは、
音楽業界を揺るがした
『佐村河内事件の深層心理分析』を
連載したときに、
一日あたり3.000人を越えたことがある。
ブロガーは、
このカウンター数が
執筆動機を高めてくれるので、
ありがたいには、ありがたい。
その後ろ立てのおかげで、
2年間毎日休まず
更新してきた。
そろそろ、
この連載も終わりにして
新しいテーマに取り組もうかとも
考えている。

『100分de名著』の録画を視て、
自分が読み落としていた部分が
解説されていて愕然とした。
落語の『道灌』じゃないが、
「俺もまだまだ歌道に暗いなぁ」
という気分になった。
なので、
何度となく読み返していた
名著『昔話と日本人の心』
を再読した。
赤線、青線、付箋、書き込みだらけで、
もはや本でありながらノート状態だが、
番組で解説されていた処は
無印だったので、
忸怩たる思いがした。
それでも、
新たな発見があり、
さすが、河合先生だなぁ・・・と、
再度、尊崇の念を抱いた。
昨晩は、寝床のなかで、
あの時のあれが、
これだったのか・・・と、
思い当たり、起き出して
ノートに書き出した。
***
「あわれ」とは、
我われの物語に即して言えば、
完結に至る寸前における
プロセスの突然の停止にって
引き起こされる美的感情である。
(物語の『鶯の里』では)
哀しく立ち去っていく
鶯の姿によって
我われの美意識は完成される。
+++
「何も起こらなかった」
という英語
「Noting has happened」
は、「無」が生じたとも言える。
それは、ネガティヴなものでなく、
意識/無意識、日常/非日常という
あらゆる対立を越えて
全てを包摂し「円」へと変貌する。
それは「無」であり「有」であるのだ。
+++
日本の典型的物語である
『鶯の里』『浦島太郎』
『鶴女房』『雪女』などは、
それが「無」の解釈なのであり、
それをさらに分析・解釈するようなことは、
屋上屋を架すが如しなのである、
という河合先生の卓見には
目を覚めさせられた。
自分はいったい
河合隼雄全集の
何を何処を読んできたのだろうか、
と自己反省した
夏休み初日であった。