昨日は、
だるくて喉も痛く、
風邪かと懸念されたが、
薬をのんで早寝したのが
よかったのか、今日は
まずまずの体調である。
午後からは、
市内で年に一度の
SC研修会がある。
しかも、
朝10時からは、
ソーちゃんの竜王戦の
予選決勝で、これに勝つと
11人による決勝トーナメントに
進出する。
そこで優勝して、
はじめて羽生竜王に
挑戦権を得る。
今日は、双方での持ち時間と
食事休憩を入れて
13時間の棋戦なので、
勝敗が決するのは
夜の10時後くらいになるだろう。
明日は、朝9時から
白河でのSC研修会があるので
7時頃出発するには
早寝しなくてはならないが、
この一戦も終局まで見逃せない。
*******
ふと思うは神ごころ
あれこれ思うは人ごころ
…という
フレーズを何処かで
聞いた覚えがある。
自編著の
『たましいの処方箋』にも
師・碧水先生のお歌に
気づかねば
ぼや大火事となる道理
気づきしことはありがたきかな
些細なることなりといへ
気づきしこと
先づ感謝をと思ひつぶやく
…とある。
タケノコ採集に没頭し、
知らずしらず、毎日、
タケノコばっかり喰うてたが、
ふと、尿管結石の激痛発作で
真夜中に救急車に乗って
九条病院に入院したのを
思い出したのである。
まだ赤ん坊だったフミを
マンションに寝かせたまま、
カミさんと深夜の京都市街を
ピーポー、ピーポーと運ばれた。
あの激痛、冷や汗を、
ふと思い起こし、
名残りの季節になった
タケノコ採り熱に
水が差された。
蓚酸食品であるタケノコを
このまま食べ続けていたら、
きっとまた尿路結石で
苦しむことになったかもしれない。
深層心理面接で夢分析をしていると
警告夢というのがあって、
意識生活の極端な偏重を正すべく
無意識が危険なシーンを夢で見せて
シミュレートさせてくれる。
してみれば、
ふと思わされるのも、
無意識のそうした
メカニズムなのかもしれない。
試験に遅れる夢や
試験ができずに狼狽する夢を
よく見る人がいるが、
これらは、河合先生に拠れば、
人生末期の大きな試験である
「自らの死」とどう対峙するか、
というシミュレーションではないか、
という。
なるほどである。

来年のファイナル・リサイタルの
音楽堂をやっと取ることが出来て、
ホッとした。
第一回目と同じ
四月の第二日曜に
決定した。
今年のポスターに手を入れて
パイロット版を作ってみた。
プログラムはまだ
暫定であるが、
一部のソロは・・・
いっそセレナーデ
秋 桜
さくら変奏曲
ダニーボーイ
牛を見張れ (16C古楽器ビウエラ)
アルハンブラの思い出
影を慕いて (レキントギター)
コーヒールンバ (フラメンコギター)
ソプラノ・デュオは・・・
もののけ姫
千の風になって
庭の千草 (ライアー伴奏を想定)
アヴェ・マリア (シューベルト/アカペラ)
カタリカタリ
津軽のふるさと
土湯讃歌
死んだ男の残したものは
・・・の予定だが、
デュオ・プログラムについては、
歌手の阿部さんと
これからご相談させて頂こうと
思っている。
先週、終わったばかりなのに、
やはり、来年のことが気になって、
寝床で毎晩、演奏曲目を考えていた。
やりたい曲、弾きたい曲、
歌で聞きたい曲、聞かせたい曲、
喜んで頂ける曲・・・と、
いろいろ考えた。

アンケート整理も済み、
後援を頂いた市教委への
実施報告書も書き上げた。
これから、
CD製作に入り、
それが完成したら
いちばん最初に
教会のCちゃん先生へ
「お礼」のお参りを
させて頂こうと考えている。
それから、
ご祝儀やカンパ、
お花などを頂戴した方々へ
一通ずつ礼状をしたためて
CDと共に発送させて頂く。
動画をぜひ見たい、
という教え子もいたので、
そちらにも送ってあげようと
DVDコピーの準備もしている。
これらが
すべて終えるのには
今月いっぱいは
まだかかるかもしれない。
休養のかたわら、
事後事務仕事が
まだ当分続きそうである。
「楽壇ひとり」は、
文字どおり、独りで
何から何まで
やらなくてはならない。
それが嫌なら
やめればいいだけのハナシである。
自らも心と魂に傷を負った
あの3.11の復興支援のために、
という大儀がなければ、
とてもこれだけの大行事を
やり遂げるのは
独りの身に余ることである。
臨床家・音楽家としての
使命感と矜持と
言ってもいいだろう。
何事も
クリエイティヴの道は、
「苦しい+楽しい=くるたのしい」
という公式に当てはまるのが
本物のような気がする。
苦しいだけでは続かないし、
楽しいだけでは浅薄になる。
今回も、
楽しかった。
でも、同時に、
心身共に苦しむ、
辛酸を舐めるようなこともあった。
だからこそ、
「虚」ではなく
「実」だと感じている。

2001年に起こった
宅間 守による
池田小学校襲撃事件では、
8人の無辜の児童の命が奪われた。
あの折、
小学校のカウンセラーを
務めていたこともあり、
その圧倒的な哀しみに
打ちひしがれて
涙した。
あの事件から、
校内ではID章を付ける事になった。
その当時のものが
引き出しの奥に
ひっそり仕舞われていたのを
見つけた。
17年前の43歳の自分だが、
ずいぶん若いなぁ・・・と、
今、鏡に映る
老爺の自分との違いに
隔世の感がある。
「M.A」は
【Master of Arts】の略で、
「教育学修士」の意味である。
ほんとうは
「Dr.」の冠位を欲したのだが、
経済的理由で博士課程には進めず、
この生涯ではついに
手が届かなかった。
ナッちゃんも
今年、院試を受けるようだが、
大学受験の時には、
親が心配するほど
猛勉強していたので、
きっと大丈夫だろう。
小学校んときは、
九九の「七の段」ができずに
心配していた(笑)。
数学教師のカミさんが、
夕食中に突然、
「ヒチハーッ!」
とか、問答を出すと(笑)、
うろがきてウルウル泣いていた。
院に行ってくれるのはいいが、
親も老骨に鞭打ち
ガンバって稼がねばである。
トーチャンの落ちたS大に
合格して雪辱してくれたので、
出来得るなら、今度は、
トーチャンの得られなかった
「博士号」を取ってくれたら
ちっと嬉しいかもしれない。
※\(^0^)/※ ガンバレー!
だるくて喉も痛く、
風邪かと懸念されたが、
薬をのんで早寝したのが
よかったのか、今日は
まずまずの体調である。
午後からは、
市内で年に一度の
SC研修会がある。
しかも、
朝10時からは、
ソーちゃんの竜王戦の
予選決勝で、これに勝つと
11人による決勝トーナメントに
進出する。
そこで優勝して、
はじめて羽生竜王に
挑戦権を得る。
今日は、双方での持ち時間と
食事休憩を入れて
13時間の棋戦なので、
勝敗が決するのは
夜の10時後くらいになるだろう。
明日は、朝9時から
白河でのSC研修会があるので
7時頃出発するには
早寝しなくてはならないが、
この一戦も終局まで見逃せない。
*******
ふと思うは神ごころ
あれこれ思うは人ごころ
…という
フレーズを何処かで
聞いた覚えがある。
自編著の
『たましいの処方箋』にも
師・碧水先生のお歌に
気づかねば
ぼや大火事となる道理
気づきしことはありがたきかな
些細なることなりといへ
気づきしこと
先づ感謝をと思ひつぶやく
…とある。
タケノコ採集に没頭し、
知らずしらず、毎日、
タケノコばっかり喰うてたが、
ふと、尿管結石の激痛発作で
真夜中に救急車に乗って
九条病院に入院したのを
思い出したのである。
まだ赤ん坊だったフミを
マンションに寝かせたまま、
カミさんと深夜の京都市街を
ピーポー、ピーポーと運ばれた。
あの激痛、冷や汗を、
ふと思い起こし、
名残りの季節になった
タケノコ採り熱に
水が差された。
蓚酸食品であるタケノコを
このまま食べ続けていたら、
きっとまた尿路結石で
苦しむことになったかもしれない。
深層心理面接で夢分析をしていると
警告夢というのがあって、
意識生活の極端な偏重を正すべく
無意識が危険なシーンを夢で見せて
シミュレートさせてくれる。
してみれば、
ふと思わされるのも、
無意識のそうした
メカニズムなのかもしれない。
試験に遅れる夢や
試験ができずに狼狽する夢を
よく見る人がいるが、
これらは、河合先生に拠れば、
人生末期の大きな試験である
「自らの死」とどう対峙するか、
というシミュレーションではないか、
という。
なるほどである。

来年のファイナル・リサイタルの
音楽堂をやっと取ることが出来て、
ホッとした。
第一回目と同じ
四月の第二日曜に
決定した。
今年のポスターに手を入れて
パイロット版を作ってみた。
プログラムはまだ
暫定であるが、
一部のソロは・・・
いっそセレナーデ
秋 桜
さくら変奏曲
ダニーボーイ
牛を見張れ (16C古楽器ビウエラ)
アルハンブラの思い出
影を慕いて (レキントギター)
コーヒールンバ (フラメンコギター)
ソプラノ・デュオは・・・
もののけ姫
千の風になって
庭の千草 (ライアー伴奏を想定)
アヴェ・マリア (シューベルト/アカペラ)
カタリカタリ
津軽のふるさと
土湯讃歌
死んだ男の残したものは
・・・の予定だが、
デュオ・プログラムについては、
歌手の阿部さんと
これからご相談させて頂こうと
思っている。
先週、終わったばかりなのに、
やはり、来年のことが気になって、
寝床で毎晩、演奏曲目を考えていた。
やりたい曲、弾きたい曲、
歌で聞きたい曲、聞かせたい曲、
喜んで頂ける曲・・・と、
いろいろ考えた。

アンケート整理も済み、
後援を頂いた市教委への
実施報告書も書き上げた。
これから、
CD製作に入り、
それが完成したら
いちばん最初に
教会のCちゃん先生へ
「お礼」のお参りを
させて頂こうと考えている。
それから、
ご祝儀やカンパ、
お花などを頂戴した方々へ
一通ずつ礼状をしたためて
CDと共に発送させて頂く。
動画をぜひ見たい、
という教え子もいたので、
そちらにも送ってあげようと
DVDコピーの準備もしている。
これらが
すべて終えるのには
今月いっぱいは
まだかかるかもしれない。
休養のかたわら、
事後事務仕事が
まだ当分続きそうである。
「楽壇ひとり」は、
文字どおり、独りで
何から何まで
やらなくてはならない。
それが嫌なら
やめればいいだけのハナシである。
自らも心と魂に傷を負った
あの3.11の復興支援のために、
という大儀がなければ、
とてもこれだけの大行事を
やり遂げるのは
独りの身に余ることである。
臨床家・音楽家としての
使命感と矜持と
言ってもいいだろう。
何事も
クリエイティヴの道は、
「苦しい+楽しい=くるたのしい」
という公式に当てはまるのが
本物のような気がする。
苦しいだけでは続かないし、
楽しいだけでは浅薄になる。
今回も、
楽しかった。
でも、同時に、
心身共に苦しむ、
辛酸を舐めるようなこともあった。
だからこそ、
「虚」ではなく
「実」だと感じている。

2001年に起こった
宅間 守による
池田小学校襲撃事件では、
8人の無辜の児童の命が奪われた。
あの折、
小学校のカウンセラーを
務めていたこともあり、
その圧倒的な哀しみに
打ちひしがれて
涙した。
あの事件から、
校内ではID章を付ける事になった。
その当時のものが
引き出しの奥に
ひっそり仕舞われていたのを
見つけた。
17年前の43歳の自分だが、
ずいぶん若いなぁ・・・と、
今、鏡に映る
老爺の自分との違いに
隔世の感がある。
「M.A」は
【Master of Arts】の略で、
「教育学修士」の意味である。
ほんとうは
「Dr.」の冠位を欲したのだが、
経済的理由で博士課程には進めず、
この生涯ではついに
手が届かなかった。
ナッちゃんも
今年、院試を受けるようだが、
大学受験の時には、
親が心配するほど
猛勉強していたので、
きっと大丈夫だろう。
小学校んときは、
九九の「七の段」ができずに
心配していた(笑)。
数学教師のカミさんが、
夕食中に突然、
「ヒチハーッ!」
とか、問答を出すと(笑)、
うろがきてウルウル泣いていた。
院に行ってくれるのはいいが、
親も老骨に鞭打ち
ガンバって稼がねばである。
トーチャンの落ちたS大に
合格して雪辱してくれたので、
出来得るなら、今度は、
トーチャンの得られなかった
「博士号」を取ってくれたら
ちっと嬉しいかもしれない。
※\(^0^)/※ ガンバレー!