昨日は無事、
新年度のスタートが切れた。
ご新規のJCとの
カウンセリングもあったが、
いきなり大泣きされてしまった。
ずいぶんと
心に不安やら哀しみが
詰まっていたようだ。
一度や二度では
済みそうもないので、
年単位の付き合いに
なりそうである。

玄関の室礼(しつらい)を
「節句飾り」に
模様替えした。
去年は
鍾馗様の大幅(たいふく)を
掛けたので、
今年はこじんまりと
棒粽(ちまき)の
自作俳画にした。
こちらでは
あまり見かけないが、
この時季、
京都の菓子舗には
この棒粽が並ぶのが
風物詩となっている。

錦兜は
亡き父が
長男が生まれたときに
祝いとして
贈ってくれたものである。
その長男もこの土曜には
29才にもなるが、
赤ん坊の頃、
父の浴衣の中に
スッポリと抱かれて
大喜びしていた姿が
今でも鮮明に覚えている。
幼い息子たち三人を
ほんとうに可愛がってくれ、
愛してくれた父には
深い感謝の思いがある。
彼らも
お祖父ちゃんに愛されたことは
どれほど心の財産になっていることか。
*
亡き父の庭を引き継ぎ、
今年も可憐に咲いた木瓜を
父の形見に添えた。

蓬莱橋まで散歩し、
橋の真ん中から
上流の岸辺を眺めると、
宮沢賢治が
故郷の岸辺に
「イギリス海岸」と
命名したのを思い出した。
なんだか、
岩場と水辺の調和が
行ったこともない
ドーバー海峡のような
イメージを彷彿させる。
新年度のスタートが切れた。
ご新規のJCとの
カウンセリングもあったが、
いきなり大泣きされてしまった。
ずいぶんと
心に不安やら哀しみが
詰まっていたようだ。
一度や二度では
済みそうもないので、
年単位の付き合いに
なりそうである。

玄関の室礼(しつらい)を
「節句飾り」に
模様替えした。
去年は
鍾馗様の大幅(たいふく)を
掛けたので、
今年はこじんまりと
棒粽(ちまき)の
自作俳画にした。
こちらでは
あまり見かけないが、
この時季、
京都の菓子舗には
この棒粽が並ぶのが
風物詩となっている。

錦兜は
亡き父が
長男が生まれたときに
祝いとして
贈ってくれたものである。
その長男もこの土曜には
29才にもなるが、
赤ん坊の頃、
父の浴衣の中に
スッポリと抱かれて
大喜びしていた姿が
今でも鮮明に覚えている。
幼い息子たち三人を
ほんとうに可愛がってくれ、
愛してくれた父には
深い感謝の思いがある。
彼らも
お祖父ちゃんに愛されたことは
どれほど心の財産になっていることか。
*
亡き父の庭を引き継ぎ、
今年も可憐に咲いた木瓜を
父の形見に添えた。

蓬莱橋まで散歩し、
橋の真ん中から
上流の岸辺を眺めると、
宮沢賢治が
故郷の岸辺に
「イギリス海岸」と
命名したのを思い出した。
なんだか、
岩場と水辺の調和が
行ったこともない
ドーバー海峡のような
イメージを彷彿させる。