夏休み中、
うちに居っ放しというのも
気が寄るといけんので、
気散じのために、
昼餐に新奇の店に
外食に出ている。

昨日も、
郊外の初めての蕎麦屋に出かけたが、
帰りに、バックで駐車場を出る時、
路上の電柱にぶつけてしまい、
リア・バンパーを凹ませてしまった。

(▼ε▼メ)…凹ンダァー!

後ろに目はない、とはいえ、
ちょうど死角になっていて視認できず、
ドカーン! と大音声と共に
衝撃を喰らった時には、
「ウワーッ!!」
と驚いた。

これまで、
何度かぶつけたり、
ぶつけられたりしたが、
車内で聞く衝撃音というのは、
マジでビビるほどの
大きな音である。

運転歴40年にして
未だにこんなミスをするので
情けなくなるが、
これを機に、今まで
何処でも前進駐車を
慣わしとしていたが、
今日からは面倒でも
後進駐車に改めようかと
過剰訂正しようとも思っている。

それでも、
「神様に、大難を小難に奉り替えて頂いた。
 有り難いことなんだ」
と「思い替え(リフレーミング)」をしたら、
いくらかストレス・コーピングとなって
早く立ち直ることができた。

その後、
気持ちも凹んで
一過性の精神異常状態だったので、
十分に注意して帰途についたが、
いつも通りなれている交差点を
通り過ぎた所で、
プチボケ風爺様が周りも見ずに
ヨボヨボと道路を横切ったので
逸早く視認できて徐行したので
やり過ごすことが出来た。

その瞬間、
(あッ! これが、大難の回避だったんだ…)
と腑に落ちるようだった。

通常速度で交差点を通過していたら
もしかしたら、爺様を跳ね飛ばして、
最悪、事故死させて
交通刑務所に収監されていたかもれしない。

それを車が身代わりになってくれて
ドーン! という大音声と共に
「お気付け」させて頂いたと解すれば、
これはやはり「ありがたい」ことであった。

アクシデントへの
都合のよい解釈であるかもしれないが、
「物語ることは癒すこと」でもあるのだ。

また、
人生は多くの
対象喪失体験の連続でもある。

事故、怪我、病気、災難、痛い目に
遭わない人生など有り得ないし、
「石橋を叩いて渡らない」ような
ヤワな惰弱な生き方は
「英雄の生涯」とは為り得ない。

テニス・プレーヤーでも、
リスクを侵さないプレーヤーは
観ていても魅了されないし、
演奏家も同じかもしれない。

失敗を怖れていては、
人生は「何も始まらず何も終わらない」
ツマラナイ、無彩色、無変化の
時空体験で終わってしまうだろう。



帰宅後、
凹んだ箇所を上から叩いたり
腕を入れて引っ張り出して、
ダイソーの黒スプレーで
塗装したら、なんとか
目立たない程度にはなってくれた。

自分で貼った「4WD」の
プラシールも欠けてしまったが
それも年季の入った
「味」ということにしておこう。

ボンビー・カウンセラーなので、
傷ついた箇所を
一々修理に出してもいられず、
「切られの与三郎」みたいに
満身創痍の愛車である。

カワチの駐車場に停めたら、
周りの車がどれもこれも
ピッカピカで傷一つないのが
なんだか異様にさえ思えた。

日本人の車を常にキレイにしておく
という異様さを
ある外国人が指摘したのを聞いて
(なるほど…)と感心したことがある。

東欧や中南米、東南アジアあたりでは
車は汚れてるのが当然で、
靴の裏側を一々ふいたりしないのと
同じ感覚なのである。

そういえば、
大学時代に
初代コルサを
亡き父に新車で買ってもらった時には、
大事にワックスかけをし
室内清掃を週一でやっていた。

自分で買った現中古軽は、
一度も洗車、清掃をしたことがない。

ナゼかナンデダロウ~♪
と思わないこともないが、
歳とってメンドっちくなったのか…、
汚れたら雨が適度に流してくれるので、
その方が、すこぶる楽であるのは
確かである。

 雨降らば
  濡るるに任す
   我が愛車
    けふも世話になり
     ありがたふと礼言ひぬ

               瓢水




凹んだ車で
気分も凹みながらも
パセオの旧七夕飾りを
眺めてきた。

どういうわけか
以前のようには
もう気分が高揚もせず、
オリンピックの開会式にも
まったく興味がなくなった。

人生の残り時間が
あとわずかなので、
形而下的な瑣末なことは
興味対象から
離れてしまったのかもしれない。

自分が面白いと思う対象だけに
意識とエネルギーを集中していこう、
というのは、やはり
「終末効果」に
入っているのかもしれない。

線香花火や電球のように
最期はパッと輝くのだろうか。




フラメンコ専門店
【アクースティカ】から
メールが来て、
引越しにつき全品半額セール
というので、
中古盤を540円で
6枚ほど注文した。

三人は無名のマイナー・ギタリストだが、
いずれもオールド・スタイルで
演奏しているので
昨今のドガチャカのモダン・スタイルに
馴染めないので、愉しみではある。

パコが12才頃の
デヴューCDもリリースされたので
ついでに注文した。

中一くらいの年齢にして
すでに完璧なテクニックと
音楽性があったというのだから
やはり50年にひとりの天才なのだろう。