昨日は、
中学校勤務日だった。
新刊のジャーナル(学会誌)が
届いたので、
さっそく目を引くような
幾つかの論文に目を通した。
年に6冊も届くので、
後で読もうと思っていたら
溜まってしまうので、
届いたらすぐに開封して
とにかく最低でも一本は
読むように習慣付けている。
論文執筆の意欲は低下しているので、
せめて最先端の研究や
新技法についての知見は
知っておこうという
プロとしての矜持は
絶やさないようにしたいものである。

カウンセリングに
連れて来られる子で、
大変な子は珍しくないが、
久しぶりに
強烈な子が来てくれた。
なにせ
じっとして座ってられなくて、
ソファーの上でポンポン跳ねるわ、
ソファーの毛羽はむしるわ、
この子が来ると毎回決まって
何かしら壊していく(笑)。
昨日は置時計の
人形をバラバラにされたし、
ウサヴィッチの耳を結んだかと思えば、
番号を持っている手をブチッと
引きちぎってしまって
アハハハと笑っている。

前回は、
茶道具の柄杓を
バシバシ叩きつけて
折ってしまった。
ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヤメチクリ~
もっとも、
どのカウンセリング室にも
壊されてもいいような備品を
置いてあるので、本気で
落ち込むことはないのだが、
その凄まじい多動性と破壊力には
圧倒されるものである。
こりゃ薬が必要だな
とも思うものだが、
まずは関係作りが大事である。
昨日の暴れぶりを見て
はたと気が付いたことがある。

それは、20年前にもあったが、
カウンセリング室においてあった
練習用のギターに、目の前で
柔らかい表面板に爪を立てて
長い傷をつけた子がいた。
いかに練習用の粗末なギターとはいえ、
ギタリストとしては
胸をナイフで同じように
傷つけられたような
衝撃を受けた。
その子も、今の子も
AD系、反社会系(性非行)、
機能不全家庭系で
共通しているので、
その攻撃性の向け処は
「親」や「大人」や「社会」なのだが、
それをカウンセリング室で
acting out(無意識の行動化)している
ものと解される。
つまりカウンセリング室での
代理・父性性・母性性的な
カウンセラーへの攻撃として
表現しているのである。
と同時に、
これほどのことをしても
私を見捨てませんか、
という無意識的な
アピールなのである。
痛めつけられたギターや
ウサヴィッチには気の毒だが、
彼女たちの無意識の声が
そこに顕われて、期せずして
どちらも診断道具にもなり、
治療道具にもなっているのである。
中学校勤務日だった。
新刊のジャーナル(学会誌)が
届いたので、
さっそく目を引くような
幾つかの論文に目を通した。
年に6冊も届くので、
後で読もうと思っていたら
溜まってしまうので、
届いたらすぐに開封して
とにかく最低でも一本は
読むように習慣付けている。
論文執筆の意欲は低下しているので、
せめて最先端の研究や
新技法についての知見は
知っておこうという
プロとしての矜持は
絶やさないようにしたいものである。

カウンセリングに
連れて来られる子で、
大変な子は珍しくないが、
久しぶりに
強烈な子が来てくれた。
なにせ
じっとして座ってられなくて、
ソファーの上でポンポン跳ねるわ、
ソファーの毛羽はむしるわ、
この子が来ると毎回決まって
何かしら壊していく(笑)。
昨日は置時計の
人形をバラバラにされたし、
ウサヴィッチの耳を結んだかと思えば、
番号を持っている手をブチッと
引きちぎってしまって
アハハハと笑っている。

前回は、
茶道具の柄杓を
バシバシ叩きつけて
折ってしまった。
ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヤメチクリ~
もっとも、
どのカウンセリング室にも
壊されてもいいような備品を
置いてあるので、本気で
落ち込むことはないのだが、
その凄まじい多動性と破壊力には
圧倒されるものである。
こりゃ薬が必要だな
とも思うものだが、
まずは関係作りが大事である。
昨日の暴れぶりを見て
はたと気が付いたことがある。

それは、20年前にもあったが、
カウンセリング室においてあった
練習用のギターに、目の前で
柔らかい表面板に爪を立てて
長い傷をつけた子がいた。
いかに練習用の粗末なギターとはいえ、
ギタリストとしては
胸をナイフで同じように
傷つけられたような
衝撃を受けた。
その子も、今の子も
AD系、反社会系(性非行)、
機能不全家庭系で
共通しているので、
その攻撃性の向け処は
「親」や「大人」や「社会」なのだが、
それをカウンセリング室で
acting out(無意識の行動化)している
ものと解される。
つまりカウンセリング室での
代理・父性性・母性性的な
カウンセラーへの攻撃として
表現しているのである。
と同時に、
これほどのことをしても
私を見捨てませんか、
という無意識的な
アピールなのである。
痛めつけられたギターや
ウサヴィッチには気の毒だが、
彼女たちの無意識の声が
そこに顕われて、期せずして
どちらも診断道具にもなり、
治療道具にもなっているのである。