BS再放送『おひさま』の
夏子先生役が清楚で美しく
目が惹かれたので
伊藤歩という女優の名前を覚えた。

ウィキによれば
岩手出身の32歳という。

これまで、多数の映画・テレビに
出演しているようだが、
観たことのある
『カンゾー先生』(98年)と
『のど自慢』(99年)では
まだ10代だったので
印象には残っていない。




同じく、『おひさま』で
ちょい役で登場した
中村ゆり(本名ソン・ウリ)も
目を惹いたが、こちらは
大阪出身の30歳で
父親が在日3世らしい。

そういえば、
大阪で教員をしていた頃、
教え子に在日朝鮮人の子たちが
何人かいた。


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『教育随談』

教師のあるべきようわ
奈保子 「教師の一言」は、その子にとってどれほどの重みがあるか分からないので、特に、誉めることは、教師の仕事のなかでも最も重要なことですよね。
佐々木 そうですよ。教師はいっ時にせよ、一人の人間の人生を横ぎるんだから、誉めるにせよ叱るにせよ、認めるにせよ励ますにせよ、最も適切な機会や言葉を選んで、生徒たちが伸びゆくためのチャンス・メーカーにならなくてはね。 
奈保子 以前に、講義の中で先生から「ギャンブラーは一瞬の楽しみ。農夫は一年の楽しみ。教師は一生の楽しみ」という含蓄のある格言を教わりまして、実感はないものの、なるほどな、と感じたことがあります。
佐々木 今年も講演の仕事で大阪に行く機会があってね、30年前に担任をしていた生徒たちと同窓会をしてきたんですが、オッサン、オバハンになった連中が、いまだに「先生。先生」って、慕ってくれるんですよ。なんと嬉しく、ありがたいことか。
奈保子 子どもたちとの「今、ここで」のふれあいが、何十年後かに、どこでどんな形で実を結ぶか分りませんものね。
佐々木 だから、教師というのは「一生の楽しみ」なんですよ。

奈保子 他にもいろんな格言を講義で習いましたが・・・。「生活のために教師をするな。人を育てるという神聖な使命のもとに心・技・体を捧げよ。神様は真の教師を生かさずにおくものか」というのは、大学の教壇で「神様」っていうのが出てきて、驚いたり、新鮮な感じがしました。
佐々木 ハハハ。そうでしょうね。あんまり、教育心理学の授業で「神様」は出てこないもんね。
奈保子 でも、欧米でしたら、「God knows」というのは当たり前の感覚でしょうにね。
佐々木 アメリカなんか大統領宣誓でも、裁判所の証人でも聖書に手を置いて誓うでしょ。
奈保子 「神」は見ている、何でも知っている、という共通理解が社会にありますものね。
佐々木 うん。どこかでは神さんとつながってる感覚があるんだね。 
奈保子 その点、日本人は非宗教的ですね。何か、大いなるものとのツナガリがない感じです。
佐々木 それでも、昔は自然という大いなるものとツナガッていたと思うんだけど。それも、物質文明の発達でキレつつあるのかもしれない。

奈保子 「教師は学者であれ。科学者であれ。哲学者であれ。そして、宗教者であれ」という格言もありましが、ここにも宗教が出てきましたね。
佐々木 もちろん特定の何々教ではないけどね。
奈保子 宗教性や「たましい」について無知、無関心であってはいけない、ということでしょうか。
佐々木 その通りですよ。
奈保子 ・・・とは言いますものの、実際のところは、先生方はかなりお忙しそうで、目の前の仕事に追われているように見えるんですが・・・。 
佐々木 実際はそうですよ。でも、やっぱり、走りながらでも考えていなければならない。 
奈保子 教育は、いつも現在進行形で論議をしつつ、実践しなければならないんですね。
佐々木 そうです。ともすれば、日常の雑事で自分が埋没してしまい、とても立ち止まって足元を見つめたり、フォーリスティックに自らを見直したりする暇がないけど、しかし、フィードバックなしで、単なる物理的な時間の経験によってのみで教育技量の進歩などはあり得ないし、人間としても進歩しないと思いますよ。
奈保子 シュタイナーは、教師の基本的態度として、何事においても去年と以下同文、昨日と以下同文、という姿勢は厳に避けるべきである、と言っていますね。それと、教師は、決してペダンティックな態度を取るべきではない、とも言っています。
佐々木 彼は、芸術家としての教師を重く見ていたんです。教育においても、芸術と同じセンスが要求されるんで、あらゆる道具や素材を駆使して、教師は素晴らしい人間を創造するアーティストなんだ、というんですね。