『危険なメソッド』という
ユングとフロイトの
実話をもとにした映画が、
全国で公開されているようだが、
残念ながらマイカルにもフォーラムにも
上映予定がない。

フロイトは、かつて
ホームズ映画に一度登場したのを
観たことがあるが、
ユングは一度も映画には
登場していないのではなかろうか。

師弟のような友情を築いていた
ユングとフロイトの関係に
亀裂が生じていくのは
学説の違いによるものと認識されているが、
この作品では愛人を巡る三角関係として
描いているようである。

レンタルDVDになったら
借りて見てみたい。


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『学校臨床の実際』

問題児
 
「問題児」というのは、我われに「問題を提起してくれる子」なのである。
 彼らは、
「オレが万引きや暴力を振るう理由を考えたことがあるのか?」
 と、実は「たましい」で訴えているのだ。
 言語化できないから、家出したり、引きこもったり、と行動化するのである。
 かつて、河合隼雄先生は、
「問題児は学校の宝、家の宝である」
 とも言われた。
 問題児の提起してくれた問題を懸命に考えることで、親や教師も成長するのだ。ちょうど、「牛に引かれて禅光寺へ辿り着く」ように。 

 問題を起こした子どもの「たましい」に、漫画のセリフのような吹き出しを与えたら、どんなことを言っているか・・・と、考えたことがある。
 おそらく、「助けてくれ」とか「私を認めて」とか色々あるだろうが、「寂しい」というのが正解に近いのではないかと思う。

 ジェーン先生というアメリカのカウンセラーに聞いた話では、むこうの高校生は、勉強ができるか、スポーツができるかで二極化され、どちらもできない子は「落ちこぼれ」となるそうで、そんな子たちが、トレンチコートを着てマフィアを気取り、機関銃を乱射し何十人も殺害したコロンバイン事件が起きたと言っていた。
 私が先生に、
「あんな事件が起きる背景は何ですか?」
 と訊いたら
「ロンリネス(寂しさ)です」
 と言っていた。
 まさに、我が意を得たり、と思った。
 
 私の尊敬する歌人・金光碧水先生は、こういう歌を詠んでおられる。

 聞いてくれぬ
  聞かうともせぬこと重なり
   かなしさ怒りの行動となるか


 これは、ズバリ本質を見抜いておられる。

 子どもたちは、
「分かってほしい。
 でも、分かるもんか。
 でもやっぱり、分かってほしい」
 と心の深いところ、「たましい」の部分では叫んでいるのである。

 大暴れして、私のところに来させられた子が、「寂しい」という気持ちが表出して涙を流すまでには、相当の時間がかかる。それまで、ただひたすら、彼の話を聴いて聴いて、こちらも胸打たれて泣きそうになった時、はじめて
「お父さんやお母さんに、心配かけて申し訳ない。ガンバれるとこまでガンバる・・・」
 という言葉がでてくる。

 イギリスの諺には
「喜びをともに喜べば、喜びは倍になり、悲しみを共に悲しめば、悲しみは半分になる」
 というのがある。
 セラピストは、まず、虚心坦懐に、問題児の「たましい」の声に、耳を澄まさなくてはならない。