ロッキー (1976)
原題:ROCKY
時間:119分
製作国:アメリカ
ジャンル:ドラマ/スポーツ
【監督】ジョン・G・アヴィルドセン
【出演】シルベスター・スタローン / タリア・シャイア / バート・ヤング / カール・ウィザース / バージェス・メレディス
コチラは、ネタばれしてます。
ネタバレなしは、コチラ→「ロッキー」
ボクシングは、一番、プロになりやすいスポーツだ!なんて話を、よく聞きますが、逆に言えば、それだけ底辺が広く、上にあがるのが、とても難しいスポーツとも言えるかも知れません。しかも、目指すトコロは世界一。
で、よく巨人の人気が上がらないと野球人気が下がるなんて言われますが、ボクシングも、このヘビー級が盛り上がらないと、人気の底上げにつながりにくい。そして、この映画も、そんなヘビー級に挑戦する男のお話です。
この映画に出てくるヘビー級のチャンピオンは、アポロ・クリード。46戦無敗の絶対王者としてヘビー級に君臨していますが、あの挑発的な口調に、あのスタイルで分かるように、ヘビー級に華麗なアウトボクシングを持ち込んだモハメド・アリがモデルでしょうね。
で、対するロッキーの方は、同じイタリア系アメリカ人ボクサーで、無敗のまま引退したロッキー・マルシアノがモデルじゃないでしょうか。
そして、そのスタイルも、マルシアノと同じくファイター・タイプなんですが、このファイタータイプというのは、接近戦に活路を見出すタイプなんですね。
だから、とにかく打ち合わないといけない。打ち合うってコトは、相手のパンチをもらわないといけない。なので見た目は悪い。判定になれば負けなタイプですね。
ま、このタイプは、もともと凄まじい闘争本能の持ち主ですから、はなから判定なんて頭にないでしょうけどね。
で、ロッキーも、その闘争本能が凄まじい。肉を食べなきゃ、闘争心が湧いてこないぞ!なんて言いますが、ロッキー、肉叩いてますからね。吊るした牛肉を拳が真っ赤になるまで叩く様は、まさに闘争本能の塊です。
ただ、それも挑戦が決まってからの話。それまでのロッキーは、とても自堕落な生活を送ってた。その唯一、情熱を燃やしたボクシングでさえ日銭を稼ぐ手段となり、足りないトコロは、マフィアの取立て屋をしてるありさま。
どうして、そんなコトになってしまったのか。それは、マネージャーをかって出たミッキーに対して言った言葉で語られます。「俺には、ピークなんてものはなかった!どうして、10年前に言ってくれなかったんだ!」
なぜ俺を救ってくれなかったんだと嘆くロッキー。こんな孤独な世界で、
彼は一人ぼっちだったんですね。「俺は、良い思いなんてしたことない!」これは、まるで、その頃のスタローン自身の叫びでもあったのかも。
で、そんな風にボクシングの世界で孤独感を味わったロッキーは、普段でも孤独でした。友達と言えば、社会の落ちこぼれなポーリーだけ、このゴミ溜めのような世界から這い出るコトもできず腐ってしまってたんですね。
このロッキーの孤独感は、部屋に飼う亀に対して、友達のように話しかけるシーンでも見てとれますね。ま、ペット飼ってるのは、ペットショップに行く口実でもあるんですけどね。そ、エイドリア~ンが目当て!はっはっはっ
そして、そのエイドリアン。彼女は、男性恐怖症なトコロがあるんですね。ま、父親代わりの兄が、あのポーリーですからね。うん、こりゃ、しょうがない。で、ロッキーは、そんな彼女を、とても愛おしく感じている。こんな自分でも、彼女の力になってあげれるんじゃないか、守ってあげれるんじゃないかと考えてます。
ロッキーは、困ってる人を放っておけないんですね。借金の取り立てに行った相手に同情して情けをかけたりもします。そんな風に、ロッキーが、社会的弱者に目をかけ、手を差し伸べたりするのは、自分もそうしてもらいたいという願望からなんでしょう。
そして、ロッキーは、不良少女に説教をたれたりもします。そんなコトしてるとゴロツキになるぞ!と、でもそれは、俺のような人間になるぞ!という自嘲の言葉でもあると思うんですね。
たぶん、ロッキーは、エイドリアンと知り合ってから、自分が情けなく見えてきたんだと思います。なぜなら、あの、弱々しく見えたエイドリアン。実は、しっかりと自分の足で歩いていた。一見、根暗な彼女の内面は、ロッキーの目には眩しいくらいに輝いてたんですね。
あんな環境の中、人や社会のせいにするでもなく、自分の力で健気に頑張ってる彼女の姿を見たロッキーは、自分のだらしなさが、とても恥ずかしく思えてきたんじゃないでしょうか。
だから、ロッキーは、死に物狂いでトレーニングを頑張ったんでしょう。
あの恐ろしいまでの闘争本能は、自分の不甲斐無さに対する怒りから生まれてるんだと思います。
そして、アポロとの試合。彼は勝てないと告白します。でも、最終のゴングが鳴っても立っていられたら、俺はゴロツキじゃないってコトが証明できるとも言います。
ロッキーは、ボクシングの勝者になれなくても良い。でも、人生の敗者にはなりたくないと思ってたんじゃないでしょうか。そして、この試合は、全身全霊をかけたエイドリアンへのプロポーズでもあったんでしょう。
この映画の脚本は、スタローン自身が書き上げ、映画会社に売り込んだコトでも有名ですが、もともとの脚本は、当時のニューシネマに便乗した内容だったみたいです。
汚れたボクシングの世界に嫌気がさしたロッキーは、元の自分に戻りたいと、試合を放棄してしまうという結末。アメリカン・ドリームじゃなく、アンチヒーローなロッキー。うん、それはそれで、観てみたかった気もしますね。
そして、この映画の、あのストップモーションで終わるラスト。実は、後から撮り直したものみたいです。で、もともとのラストシーンは、
騒然とするリング上から、静かに降りるロッキー。敗者のロッキーには、誰も見向きもしない。そして、エイドリアンと、そっと手をつなぎ、ロッカールームへと消えていく…というラストだったみたいです。目一杯、輝いたロッキーは、また、もとの生活に戻る。でも、以前とは違う。もう、一人じゃないんだ。そう、君がいる。
エイドリア~ンって叫びたくなったら
↓ポチッとお願い。はっはっはっ
★ありがとうございます~! にほんブログ村