雑記7.ありふれた日常

 『八方ふさがってなどない』

 

おねがい 人生には「八方ふさがり」と思える局面がある。

   そんな時でも、『上を見上げれば「天」が開いていて

   まだ助けは残っている』とよく言われる。

   確かに、私たちは天の助けと思えるような不思議な力に守れた経験があり、

   なるほどその通りだと心強く思うものだ。

 

おねがい 今日の「ありふれた日常」では、天ではなく人の話。

   「神は人を通して働かれる」と言われるので、

   八方ふさがりの時に差しのべられる「人の手」さえも

   全てが天の謀(はかりごと)と集約できるかもしれない。

   そんな捉え方があることを承知の上で、今日感じた事を記したい。

 

おねがい ある女性の話。

   両親が同時期に病気になってしまい、 突然、介護する事になった。

   仕事と家庭、そして両親の介護。そのような生活は最近では

   珍しくないと思うが、当事者としては初めての事。

   仕事と介護の合間をぬって介護サービスの段取りをつけた。

   公的サポートを受けながら、必死に一日一日を乗り越える。

   どんなに努力しても、介護に直接たずさわっていない兄弟や親戚が

   不十分だと指摘してきた。

   彼女は、ストレスと怒りで精神的に追い詰められていった。

 

おねがい 彼女と私は毎月会っていたが、プライベートな悩みを打ち明けることはなかった。

   一か月前に会った時、彼女は「八方ふさがり」の状態にあった。

   辛い介護と心ない「善意」のアドバイスに疲れ果てていた。

   誰か利害のない人に、吐き出したくなったのだと思う。

   半年間の胸の内を早口で私に話してきた。私には義母の介護経験があるので

   彼女の気持ちが痛い程理解できた。そして自分の体験を話した。

   

おねがい 今日、一か月ぶりに彼女に会った。

   彼女はすっかり別人となって、介護を「愛おしむ」人に変わっていた。

   「介護が幸せな日々になったのよ」と。

   私の体験談で、二つの言葉が刺さったらしく、

   介護に対する見方が完全に変わっていた(パラダイムシフト)

  

おねがい 苦しみの真っただ中にある時、八方ふさがりと思う時、

   天を見上げる事もとても大切だが、

   「こういう見方もあります」「こんな幸せがついてきますよ」と

   教えてくれる体験者(上手に乗り越えた人)が周りきっといる。

   しかも180度転換させるほどの視点を与える人が。

   今日彼女と会ってその事を痛感した。

   私も辛い時、心を開いて、上手に乗り越えた人を探そう。

   本当は、八方塞がってなどないのだから。