正直な所、D.D.は悩んでいた。
殲滅部隊ケルベロス本部の一室、火薬と酸の匂いが混ざったような異臭漂う部屋で、その骨のような男は机に突っ伏していた。あまりにも骨のような体格なので餓死しているようにも見えるが、それの場合はただ食い物が一定量以上食えないだけである。屍のようなそれが急に跳ね起きる。気持ち悪い、誰もがそう思う挙動不審な男なのだ。そして奇妙な声を上げ、誰宛でもなく苛立ちのスラングを吐き捨てる。それが苛立っているのは、殲滅依頼の件であった。「ウイルスプログラム【A.P.S-259】を破壊せよ」、そうやらその一文がその男の悩みの種らしい。
「あれ、欲しいんだよなあ…」
普段の間延びしたアメリカ英語ではなく、何故か日本語でぶつぶつと喋り出す。そう、D.D.はそのサイバーウイルスが欲しいのだ。使用目的はない、ただ純粋に自分の知識欲を満たすための玩具程度であるが、それはとても魅力的であった。そしてあわよくば似たようなものを作り個人的に売りさばけば小遣い稼ぎにはなるだろうと思っていたのだ。やっぱ中身見たいなあ、あーでも命令はなぁ、等、ひとしきり早口でぶつぶつ宣った後に我に返り、思い出す。この部隊の隊長は「日本とイギリスのハーフ」であったことを。誰にも聞かれていないかその辺をぐるぐると歩き回り、誰もいない事を確認、後に盗聴電波のチェックを行ってもういちど席に戻る。「隊長にこんな事知られたらー、まぁ私の命はないよなー」と、今度は間延びしたスペイン語で吐き捨てる。当然だ、命令違反なのだから。あの餓鬼のことである、癇癪起こして手が付けられない事になりかねない。その事は構成員ーーもはや「元」とついても良いくらいに久しいがーーであるハイドの一件がすべてを物語っている。あんな面倒事は御免だ、とこっそりとスペイン語で呟いて、
「しょーがねェなァ、私もやるしかねェんだろうな」
最後に訛りの強いフランス語で吐き捨てた。
「ハスキーくーん!」
長身のD.D.とほぼ変わらない、だがD.D.よりかは遥かに体格の良い青年が振り返る。機嫌の悪そうに眉間に寄せた皺、鋭利そうにぎざぎざと並んだ歯、癖の強さを無理矢理押し込んだようなオールバックの金髪、不自然に尖った耳。ハスキーと呼ばれた彼、ベネディクトはそれの楽しそうに跳ねる様を見るなり瞬時にバックステップ、それとの距離を取った。D.D.は作ったような声で「ひーどーいー!」と喚き散らしたが、ベネディクトがその行動を取ったのは元はと言えばD.D.のせいである。頭痛薬とか適当なことを言ってわけのわからない薬を飲ませてみたり、長期の仕事に持って行くためのボストンバッグに爆発物を隠してみたり、背後からじゃれながらのしかかってきたかと思えば首筋に注射針の先端が当たっていたりと、D.D.の「ちょっかい」はもはや日常茶飯事であったため常時警戒せざるを得なくなったのだ。勿論致命傷は負わせてはいないが、いつ毒物を盛られるか解ったものではない。そのためそれからは一旦距離を置く事が最善の策であると、ベネディクトは身体で覚えてしまったのである。「今日は何のつもりだウロボロス…!」と、あからさまに敵意をむき出しにしている(が、D.D.からは犬が尻尾を振っているようにしか見えていなかった)ベネディクトに対し、コードネームで呼ばれたD.D.はくつくつと肩を揺らして笑った。
「いんやァー?ただ君と隊長はぜーったいに怪我して帰ってきそうだからぁー。『まともな』連絡先を教えておこうと思ったんだよねぇー。」
「…テルシスがあンだろ。」
「えー?でもー、僕多分携帯の電源切ってると思うよー?」
それじゃァ携帯電話の意味を成さねェだろう、と言おうとしたが、D.D.がそんな話を聴くような男ではないという事を思い出し、黙り込んだ。できればAPSを奪取したいD.D.にとって、テルシスという超便利な位置情報把握ツールは究極邪魔になるだけなので、テルシスを使う気はさらさらなかったし、寧ろアンインストールしようかと考えていたくらいである。そのため念の為全員に「まともな」連絡先をまわしていこうと考えたのである。最初に「まともな」と前置きをしたのは、少し前にオットマールーー調達部隊、D.D.は運転手君程度にしか思っていないがーーに携帯でちょっかいをかけた事があったため、念の為につけた補足説明であった。それはそうやって人を遠ざけようとする癖があるのだ。信じていたのに裏切られてぼろぼろになるよりかは、最初から恨みありき接した方が良いという彼の歪んだ精神のためである。その癖にひとりでいることが怖く誰かの怒りを買う事で注意を引こうとするのはこの蛇の習性なのだろうか。その蛇はによによと気味の悪い笑みを浮かべながらベネディクトに携帯を差し出した。ベネディクトは恐る恐るそれを手に取り、何もない事を確認して連絡先を交換、拍子抜けした顔でD.D.を見た。いつもと様子が違うぞ、と訝しげな目をしていたのだが、D.D.はそれには気付かなかったようだ。
「怪我したらいつでも呼んでねー、なるべく早めには行ってあげるからぁー」
「…解った。」
「だから手遅れになる前に呼ぶんだよー?特に君と隊長は加減ってものがわかんないみたいだしねぇー。死んでも墓はつくってあげないよー?」
「おう。」
その一方通行の会話は表向きはとても軽い内容であったが、その会話の裏には「くたばるなよ」という意味が込められていた。お互いにそれは理解しているのだろう、別れの挨拶もろくにせず、大男二人はそのまますたすたと各々の目的地へと向かって行った。
ベネディクトと別れた後、D.D.は少し値の張る靴の踵をかつんかつんと鳴らせながら楽しげに旅支度を始めた。とは言っても服は然程入れず、主に医療器具や薬品、そして少々の武器くらいしか入っていなかった。その男は医者としてはプライドが高く、誰かを治療する事に関しては至って真面目であるため、その点の準備は怠らない。「実験」と「治療」はまた別、それが彼の考えだった、そのためいかなる状況においても「治療」に関してだけは一切巫山戯たりはしない、そんな妙な男であった。その性質が災いしてか、彼は7年前の事件にて親友に嵌められる事となったのだ。その真面目さは次第に狂気を帯びていき、こうして歪んだ蛇を生み出したのだ。さながらそれは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)のような多面性、そう表現するのが相応しいだろうか。
「さて、皆が無事に生きて大怪我してくることだけ考えようかなー。あ、あとあわよくば"回収"もだねー」
こうして精魂が腐り切った医者も、ルーマニアへと赴く事となった。
【それはきっと、娯楽を求める蛇の散歩】
Summer Cyber Panic --Side:D.D.--
*******************************
補足:ウロボロスは命令、破壊作業はちょこちょこはこなしていくけれど、基本回収に走ります。
尚、怪我をしたケルベロスメンバーのもとには連絡をくださいましたら即駆けつけます。てきとうに車でも盗んででもなるだけ早く駆けつけます。便利な救急箱程度に使っても良いのよ!←