こんにちは、皆さん。

勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路 貞善です。

いつもお読みいただきありがとうございます。

 

GWに入りました。連休を楽しめる方もいれば、仕事に専念されている方もおられるでしょうね。

私は会社員時代の30年余り、経理部門に在籍し働いていました。毎年この時期は3月決算業務を行うのが常でしたからGWが休日であった記憶はありません。今もあまり大きく変わっていないかもしれませんね。本当におつかれさまです。

 

 

【 龍馬の木戸宛書簡とその返書 】

 

さて前回のコーヒーブレイクはいかがったでしょうか。今回は本来の海舟ブログに戻ることにいたしましょう。

 

前々回、木戸孝允から送られた手紙に坂本龍馬が裏書したお話しましたが、その翌日(慶応二年(1866年)2月6日)にも龍馬は木戸に宛てて再び筆を取り、前月の伏見寺田屋での遭難事件について手紙で知らせています。

浅手だが手を斬られ、今は薩摩屋敷で療養中のため長州へは参上できないと詫びの言葉を伝えています。

 

手紙を受け取った木戸は同月22日に返書を認めました。自身の記憶に基づき要約した薩長盟約の六箇条を記した書簡に龍馬の裏書があったことに安堵したと木戸は告白しています。

また龍馬が寺田屋で遭難したと聞いた時には、「骨も冷たく相成り驚き入り」と記し、ともかくも無事だと聞き飛び上がりたい程に喜び、また安堵したと記しました。骨まで届く冷たさを感じる衝撃を受けたというのは、偽らざる本音であったでしょう。木戸にとって龍馬はこの密約の存在を示すことができる唯一の証人です。龍馬がこの世から消えたなら盟約の存在を明らかにできる者がいなくなってしまいます。木戸が恐れたのは、まさにこのことでした。

日頃からあまり警戒感を持たない龍馬の身を木戸は心から案じ、こう助言しています。今の世は、「狐狸(こり)の世界か、豺狼(さいろう-山犬や狼のこと)の世間か更に分からぬ世の中故、白日の下で歩けるようになるまでは何事もご用心ください」と。

 

 

【 鹿児島でお龍と過ごす龍馬 】

 

龍馬は京都の薩摩藩邸で一か月ほど匿われた後、この頃には妻となっていたお龍と共に京を離れ、鹿児島に向かいます。3月5日、薩摩藩が所有する蒸気船で小松帯刀と西郷吉之助と一緒に大坂を出航。

この船には京都で龍馬と行動を共にした三吉慎蔵も同乗していました。翌6日夕刻、船が下関に着くと使命を果たし終えた三吉は龍馬に別れを告げ、船を降りました。

 

同月10日、鹿児島に到着した龍馬は吉井幸輔の誘いで霧島に向かい、温泉に浸かり傷を癒しながら安息の日々をお龍と一緒に過ごしています。龍馬は魚釣りやピストルで鳥を撃つことに興じ、「まことにおもしかりし」と心から満喫した日々を過ごしたことを故郷土佐にいる乙女姉への手紙に書き送っています。

 

この時の龍馬には東奔西走し、ようやく薩長盟約の成立に漕ぎつけたことへの満足感と安堵の気持ちがあったことでしょう。また幕吏の探索の目が光る危険な京の地を離れ、緊張の日々から解放されました。何よりも傍らにいるお龍と一緒に生きている喜びを全身で感じていたかもしれません。 

この手紙(慶応二年12月4日付け)は、龍馬が書いた中でも群を抜く長文の手紙ですが、龍馬の人柄を彷彿させ、奔放な筆致でいくつもの話題が面白おかしく綴られています。

 

龍馬がお龍を連れ霧島山に登り、高千穂峰に突き刺さる天の逆鉾を引き抜いたという有名なエピソードは、この手紙の中で紹介されています。しかも絵を描き、詳細なコメント付きで説明を書く念入りなもの。手紙を眺めていると得意顔で書いている龍馬の表情が思い浮かんできます。

 

 

(乙女姉宛の龍馬の書簡 慶応二年12月4日)

 

 

お龍はたまたま寺田屋で自分と一緒にいたため災難に遭った。でもお龍がいたからこそ「龍馬の命は助かりたり」と乙女に命の恩人であることを強調しておきたかったのかもしれません。さらに引き取られた薩摩屋敷では小松、西郷にも自分の妻と申し出たのでその旨、兄上にもよろしく伝えて欲しいと書き送り、お龍に対する龍馬の配慮をうかがわせます。

 

 

いかにも龍馬らしい言い回しだと思えるのが、以下の言葉です。

「世の中の事は月と雲、どうなるものやらしらず、おかしきものなり」。そのすぐ後からは「天下の世話は実に大雑把なもので、命さへ捨てれば面白き事」という文言が目に飛び込んできます。いずれも龍馬が口にしそうな言葉です。

世の中のことは照る日もあれば曇る日もあり、行く末はわからない。国事に奔走しているわが身にはつねに危険が付きまとう。それでもこれからも命を懸けて己の道を歩むという決意を、悲壮感を漂わせない龍馬特有のどこかユーモラスな言い回しで表明しています。

 

手紙の最後の部分では、西郷の略歴を簡潔に説明しその人となりに触れています。

藩命により島流しに遭い、牢屋にまで入れられたこともあったが、後に呼び戻され今では「国の進退はこの人でなければ一日もならない」と言われるほどの存在になった。西郷は龍馬から見て心底、信頼するに足る人物であったようです。

 

 

【 勝、龍馬の活躍に思いを馳せる 】

 

この頃、江戸にいた勝が薩長盟約のことを知ったのは、日記によると慶応二年2月1日です。成立からわずか10日ほどしか経過していない時期に勝はこの情報を入手しています。その日の日記の記述を見てみましょう。

 

 「薩、長と結びたりと云う事実成るか。我門柳川の士、当春薩船に便して下関へ到りしに、長より早速使者差越手厚なりしと。又聞く、坂龍(坂本龍馬)今長に行きて是等の扱を成すかと。左も有る可しと思はる

 

幕府の中でも顔の広さでは抜きん出た存在であった勝は薩摩藩とも長くつきあいがあり、深い交流がありました。軍艦奉行を辞めてからも勝邸には複数の薩摩藩士が出入りし、手紙のやり取りも頻繁に行われていました。そのため京・大坂で起きていることや情勢について勝は幕府内の誰よりもいち早く知ることができました。

とはいえ薩長盟約は薩摩と長州の密約ですから、さすがに薩摩も幕臣の勝にそのことを知らせるわけにはいきません。両藩が手を結んだらしいという情報は意外なところからもたらされました。

その頃、勝の門弟であった柳川藩士が下関に行くために薩摩藩の船に乗り込んだ際、ある変化に気づきました。長州側の対応ぶりが思いの他、手厚いものに感じられたためです。その様子から両藩の関係がこれまでになく親密なものに変わりつつあるようだと感じ、そのことを勝に知らせてきたのです。

 

 

二年前(元治元年9月)、勝は大坂で初めて西郷に会い、そこで勝がこの国の進むべき方向について熱く語りました。勝から伝えられた言葉は西郷の心を激しく揺さぶりました。この時、勝はこれからの日本が歩むべき方向と道筋を明らかにし、西郷に未来図を示しました(第141話~第143話)

西郷との会談は、その後の西郷の言動と薩摩藩の政治活動にも大きな影響を及ぼしました。長州を叩こうと考えていた西郷は自身の考えを大きく転換させました。

 

当時においても薩長両藩が力を合わせれば時代の流れは変わると考えられていました。ですが現実に両藩提携の実現は容易なことではありません。

薩摩は幕府と敵対関係になく、一方、長州は幕府に敵対する立場にありました。さらに禁門の変で両藩は衝突し、薩摩藩は押し寄せる長州兵を敗退させました。その後、長州藩がどのような運命をたどったかはこれまでお話した通りです。

 

提携話を進めるために龍馬は木戸に、中岡(慎太郎)は西郷に接近し、双方を会わせようと奔走し約束を取り付けます。ところが西郷が約束を破り、両者の会談は実現しません(第160話)

この時期の薩摩は長州を敵に廻したくないと考えていましたが、薩摩側から提携話を今すぐ持ち出さねばならぬだけの積極的な事情がなかったためです。

 

その後も龍馬はあきらめずにいました。薩長盟約に関して龍馬が今も存在感を示し続けているのは、失敗をそのままに終わらせてしまわないだけの行動を積み重ねたからです。

龍馬は双方にとって今、何が足りないのか、何を必要としているのかを見極めようとしました。考えを巡らせ、藩の要路にある者たちに会っては何に困っているかを聞き出し、それを提供することで関係の改善を促そうとしたのです。龍馬は双方が足りないものを補い合う関係づくりを目標として設定し、ほぼ一年をかけて互いに必要な存在として気づかせることに注力したのです。そして周到な準備と説得が功を奏し、ついに盟約成立に漕ぎつけました。

 

軍艦奉行を罷免された後、勝は国事に関わることが許されず、江戸の自邸で自らの意思で行動できない歯がゆさに身を焦がす日々を過ごしていました。それだけに薩長盟約の報に接した勝は、愛弟子がしてのけた大仕事に内心舌を巻きながらも、その成長ぶりに師としての喜びを静かに噛みしめていたことでしょう。

 

 

さて本日はここまでといたしましょう。今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「坂本龍馬」 松浦 玲 岩波新書

・「坂本龍馬」 池田 敬正 中公新書  

・「西郷隆盛」 家近良樹 ミネルヴァ書房

・「坂本龍馬からの手紙」 宮川禎一 教育評論社

・「坂本龍馬 ~その手紙のおもしろさ~」 京都国立博物館 

 ― 特別展覧会 没後150年 坂本龍馬 展― 配布パンフレットより

 

写真・画像:京都国立博物館 「坂本龍馬 その手紙のおもしろさ」のパンフレットから