こんにちは、皆さん。
勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路 貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。
【 今年を振り返り考えたこと 】
皆さん、お久しぶりです。
令和2年もいよいよあと数日を残すばかりとなりました。本当に大変な一年でした。今年に入り私たちはこれまでに経験したことがない、コロナウィルスという目に見えない脅威にさらされることになりました。これにより私たちを取り巻く環境は一変しました。失われたものがたくさんあります。それを一言で言うなら、「日常」 ということになるでしょうか。
「三密」という言葉が生まれましたが、「三密を避ける」ことが今の私たちが生きていく環境を象徴する言葉となりました。
コロナの影響はビジネスの世界にも及び、私たちの職場や働き方にも大きな変化をもたらしました。
職場で人と肩を並べて一緒に仕事をすること。そんなことさえ難しい時代になりました。感染症の拡大を防ぐため、また従業員の命と健康を守るため会社は色々な対策を打たねばならなくなりました。
報道によると全国の感染者数の記録更新が続いています。拡大防止策がより効果を上げるかどうかのキーポイントは、医療関係者が現場で感じる危機感をどれほど多くの人と機関が理解を示し思いを馳せられるかにあると考えています。
今はすべての個人と組織が感染拡大を防ぐためにできることに取り組むしかありません。これで万全という対策はなくとも、感染を拡大させないために懸命な取組みを続けている人たちがいます。そうした方々の想いと努力をフイにしないための心掛けを持って行動することが今の私たちには求められています。
「どんな嵐もいつかは過ぎ去る」
今私たちを取り巻く環境がいかに厳しかろうとやはり希望を持ち、今日の営みが明るい未来につながることを強く信じて、互いに支えあいながら毎日を生きることがとても大切なことではないでしょうか。
【 近況報告とブログの投稿について 】
さて約1か月間、勝手ながら海舟ブログの投稿を休止させていただきました。
言い訳になりますが、期日が決まった仕事とが重なり、ブログを書くための時間を取ることができませんでした。
そこで今回はコーヒーブレイクとして、どんな風に当ブログを書いているかについて少しお話します。
私の場合、投稿前にいくつかの史料や歴史本を読み込みながら、その回のアップ内容を少しずつ固めていきます。複雑なものをわかりやすく伝えようとするとどうしても文字量は増えてしまいます。
投稿する内容と文字量については、いつも葛藤しています。ブログではあまりに長い文章は歓迎されませんから文字量は常に意識しています。そこで読み直しては手を入れていきますが、これはかなり時間を要する作業になります。不要な文言は削除しますが、切り捨てるかどうかの判断に迷うことがよくあります。長文になるのは避けたいと思いつつ最後は内容を優先することにしています。
筆力のなさを棚に上げて言うのも何ですが、ご理解いただけるとうれしく思います。文字数が少ないほど楽に読めますが、わかりにくい、伝わりにくいよりははるかに良いと考えています。またその回の投稿の着地をどのようにするかは、今後の展開も考えながら毎回苦心するところです。こうした手探りの作業を繰り返して投稿にいたります。とはいえお読みくださる方にはお時間を拝借するわけですから、そのことにはいつも念頭に置きつつ感謝の気持ちを持ってアップさせていただいています。
幕末史は多彩な人物が登場し、複雑な動きがあるため時系列で追うだけでも混乱が生じることがあります。できるだけわかりやすく整理してお伝えしようと努めていますが、理解しやすい文章にまとめあげるのは厄介な作業です。しっくりいかないと何度も書き直しをします。
今年最後の投稿は準備不足のため断念し年明けにすることにしました。正直なところ連続ものを手掛ける者としては、投稿の間隔が空き過ぎることは極力避けたいところです。その意味でこれまでどのような形であれお読みいただいている方々には、真に申し訳なく思っています。
さて現在、執筆中の「転機-西郷との出会い」の章では西郷と勝が初めて出会い会談します。幕末史が大きく転換する重大な局面です。海舟ブログでも前半の山場に当たる重要な場面に当たります。
ここに至るまでには、どのような歴史の流れがあったのか。この章はすでに「その8」までアップしましたが、まだ西郷が登場していません。それには私なりの理由があります。勝・西郷の初会談に至るまでの経緯と背景を知っておいていただきたいと考えているからです。次の三点を明らかにしておきたいと思います。
まず第一に、長州藩が8・18政変から池田屋事件を経て禁門の変に至る経過と事情です。その後、尊攘派が後退すると幕府は急激に反動化していきます。
第二に、長州藩が行った外国船砲撃に対して列強諸国が実施した軍事的行動は単なる報復行為ではなく、日本の支配層に攘夷が不可能なことを確実に目覚めさせるという明確な目的がありました。さらにこの国を真の意味で開国させるためには、朝廷と幕府の双方の意思を統一させる必要があると考え、こうした政治的意図から実行された軍事的行為であったことです。
第三に、下関戦争の結果、幕府の態度が大きく変化したことです。対外政策の方針は180度変わりました。しかも横浜鎖港の方針撤回を朝廷に断りなく幕府独自の判断で決定しました。
後に幕府が倒れることになったのは、この時期に勝と西郷が出会ったことと大いに関係があります。こうした歴史的事情を押さえておかないと西郷が勝に会うことになった理由と意義が理解できなくなります。そんな中で勝がどのように考え、どんな行動を取ったのかにフォーカスし、この章を執筆しています。
歴史の面白さは、思いもよらなかったことを知ったり、既知のことに新たな意義を見出すことにあると私は思っています。ですが何を面白いと思い、何に関心を持つかは人それぞれです。これからも私なりに少しでも関心を持っていただければと思うことをお伝えしていきます。
さて年が明けると当ブログも4年目に入ります。今年は投稿が少なくなりましたが、これまで累計140回を超える投稿をしてまいりました。過去の投稿も多くの方々にお読みいただいており、改めて感謝申し上げます。ありがとうございます。
これからもコツコツと仕事の合間を見ながら、“全集中の呼吸”で書き上げ投稿させていただきます。おつきあいの程、よろしくお願いいたします。
辛抱の日々が続きますが、希望を持ち新たな年を迎えたいと思っています。来るべき年は皆様にとって例年通りではなくともどうか良いお年をお迎えください。