こんにちは、皆さん。
歴史大好き社労士の山路 貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。
【帰国準備に入る咸臨丸】
咸臨丸の修理は急ピッチで進められました。朝6時から夕方6時までの12時間、日米双方の職人たちが一緒にペンキの塗り直しやさび留めを施し、綱具を拵えるなど懸命に働きました。
ある日の朝、火焚の小頭が質の良い米国産石炭の積み換えを配下に命じて作業していたところ、マッキヅーガルから仕事を休むように申し入れがありました。その日が日曜日であったため造船所の職人たちの姿はなく、日本人だけで作業を行っていたからです。結局、その日は勝の指示により作業は半日で終えることになりました。
勝は多忙を極めていました。咸臨丸の艦備付経線儀やその他の船具をサンフランシスコまで出かけて購入したり、水夫たちに支給する合羽と股引の手配をしています。また病院にも顔を出し入院した者たちを見舞うなど、またたく間に時間だけが過ぎていきました。
【叶わなかったワシントン行きの夢】
勝が「ワシントンに行きたい」と希望を語り、それに対しブルック大尉が「グッド・アイディア」と返答したのは咸臨丸の船内でのことでした(第71話)。もともと勝はアメリカを自分の眼で見たいという強い想いを持ち、今回の渡米を叶えました。
一方、木村は幕府から命じられて米国行きが決まったため勝のように当初から切望していたわけではありません。両者には明らかな温度差がありました。
欧米諸国を見たいという勝の願望は、長崎海軍伝習所時代から持ち続けていたものでした。教師団の団長であったペルス・ライケンと深く交際した勝はこの人物を心から尊敬していました。その師から勝は、伝習ですべてを学ばせるのは難しいが、オランダに留学すれば習得させられる、と伝えられていました。
「君の怜悧はよく知れり」と師から激賞されていた勝は、自分の眼と耳で直接見聞しなければ本当のことは学べないことをよく理解していました。そのためこうしてアメリカ大陸の地に踏み入れた以上、ワシントンまで足を伸ばしたいと誰よりも強く想っていたはずです。
とはいえ木村にも苦労の末、アメリカに着いたからには都府まで行きたいという想いは当然にありました。
この件に関して勝と木村の間で一悶着あったようです。
木村は遣米使節の新見、村垣そして小栗と話し合い、咸臨丸で帰国する決意を固めます。「去りながら都府(ワシントン)を一見せざるは遺憾事なりし」と打ち明けており、なかなか諦められ切れなかった様子です。
(遣米使節の3名 左より村垣範正、新見正興、小栗忠順)
勝が亡くなった後、往時を振り返り木村は、ワシントン行きに関して「何分勝サンがソウいう工合で、怒ってばかりおって、任せていく工合ならんものですから、それもやめました」と語っています。勝のせいで行けなかったかのような話をしていますが、遣米使節のワシントン到着が明らかになった時点で木村には都府に行かねばならない理由は無くなります。一方、行きたくて仕方がない勝も艦長という立場上、咸臨丸を降りてまで使節に同行するのはさすがに無理というもの。ここまでと諦めるしかありませんでした。
それならせめてパナマに立ち寄ってから帰航しようと勝は木村に提案しますが、これには木村が異議を唱え実現しませんでした。最後まで両者の息は合わないままでした。
【帰国準備の日々①】
閏3月9日、咸臨丸のすべての修繕作業が完了しました。
帆柱は新たな物に取り替えられ、船体は塗り替えられ、船内や各装備にも入念な作業が施されました。新たに生まれ変わった咸臨丸を臨検する木村と勝は無論のこと、士官、水夫たちの表情は喜びに満ち溢れていました。
この日、木村は工事に携わった職人たちに対し褒美を取らせています。併せて毛織筒袖を1枚ずつ一同に支給しています。日本から着用していた木綿地の筒袖は乾きにくく、航海中病気を発する者が多く出たためです。
同3月11日、木村は宿舎で送別の宴を催し、これまで世話になった人たちを招いています。別れの日が目前に迫り、互いに気持ちの高ぶりを秘めたまま始まった宴会は3時間に及び、双方が歓待を尽くし酔いしれる盛会となりました。
宴会終了後、片付けを終えると一同はこの夜のうちに宿舎を引き払い、咸臨丸に移りました。この日宴会の手配と引越しに追われた水夫や火焚たちはさぞ目が廻る程の忙しい一日を過ごしたことでしょう。
翌朝、木村、勝、小野らはカニングハム提督の邸宅を訪ねます。朝食の招待を受けていたためです。マッキヅーガルも呼ばれており、朝餉を共にすることになりました。
一ヶ月前に負傷したカニンガム提督の症状は快方に向かっており、家庭内での起居には差支えない程度にまで回復していました。
提督は朝食を取る木村や勝らに向かい、帰路の洋上での風向きについて丁寧に教えてくれました。別れ際には家人皆が全員と手を握り合って別離を惜しみ、日米双方の人々の胸を熱くしました。
午前10時、咸臨丸は錨を上げるとメア・アイランドを発ち、サンフランシスコに向かいました。帰国までにやらなければならないことがまだ多く残されていたからです。
さて本日はここまでといたしましょう。次回はいよいよ咸臨丸編の最後のお話をさせていただく予定です。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
【参考文献】
・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書
・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房
・「勝海舟全集8 海軍歴史Ⅰ」 講談社
・「咸臨丸、海を渡る」 土居 良三 中公文庫
・「幕末軍艦咸臨丸」 文倉平次郎 中公文庫
・「海舟座談」 巌本善治編 岩波文庫
※写真はウィキペディア「万延元年遣米使節」より