こんにちは、皆さん。

歴史大好き社労士の山路 貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。

 

【アメリカ社会から学んだこと②】

 

ある時、勝は士官らと製鉄工場を視察しています。

この地の工場も「皆蒸気力を用ゆ。大抵長崎の飽浦(あきのうら)にある製鉄所と等し」と断じています。多くの者が工場の規模の大きさに驚き、精巧に作られた機械を使い、簡便に自在な生産が行われることに感心しました。勝も技術面には大いに関心があったはずですが、こんなこと驚いたり心酔するには及ばないと主張します。

「今や鎖国の時代は終わりを告げた。今後世界と広く通商を行い、儲けたカネで機械を導入し設置するようになれば同様のレベルに達するのは数年を俟(ま)たずしてできる」と勝は見ていました。

 

わが邦の人間ならこれくらいのことはすぐにしてのけられるようになるという確信が勝にはありました。米国滞在中、文明の水準に関して彼我の違いを見せつけられ感心することはあっても決して目先の事象にとらわれることはありませんでした

かつて鉄砲や大砲づくりに関わった技術者として、また長崎で水夫や火焚たち職人がオランダ人から学ぶ姿をつぶさに見つめ続けた観察者としての確かな眼を勝は備えていました。そんな勝だけに日本人が持つ潜在的な能力を深く信じ、未来に大きな希望を持つことにためらいはなかったに相違ありません。

 

一行は滞在期間中、病院、貨幣鋳造局、劇場、造船所などの施設を視察し、新聞印刷のための活板工の仕事を見学しています。しかし、勝の鋭い視線はアメリカ社会そのものにも向けられました。

勝が注目したのは、アメリカ社会には民を支配し政治を牛耳ることを専らとする階層、すなわち日本でいう武士階級が存在しないことです

『海軍歴史』を見てみましょう。記述からはこの国が持つ明るさと強さがどこから生まれてくるのかを見極めようとする勝の視線が感じられます。要約すると、

「総て士農工商の差別無く」、普段は商売・交易で生計を立てている者たちの中から、政治家や役人(行政官)となるものがいること。

・そのうち経済力がある者は自分のビジネスを家族や子弟に任せて、自身は官途の仕事に就いていること。

・財力に劣る者たちは数人で連帯して一、二店舗を経営し利益を分配していること。

・職を辞すれば高官であった者でも再びビジネスに戻っても何ら差支えがないこと。

 

 

当時、サンフランシスコ市は12の行政区があり、12人の区長の上に市長がおり、他にも行政に関わる様々な職の官員が多数いました。こうした公職に就く政治家や役人の中には身内が商売をする者もいました。

彼らが蓄財を行っても問題とされたり、批判を受けることもありません。隠退したらまた元の仕事に自由に戻ることができました。

目の前に広がる世界は、これまでがんじがらめの身分社会に身を置き、幕藩体制が持つ特有の息苦しさと窮屈さを味わい続けてきた勝にとって対極にある世界でした。

 

人それぞれが持つ能力や適性に応じて仕事を選び生活を営む人たちによって成り立つ社会がそこにはありました。そんな自由な社会の仕組みを持った国家の存在を目の当りにして勝は目を見開かれる想いを持ったことでしょう。

 

 

勝の中でぼんやりとした小さな ある予感 が生まれつつありました

今後開国により外国との往来が始まり、交易が始まるようになると邦人も海外に出かけ見聞を広めるようになる。そうなれば何も生産しない武士階級が農工商の民の上に立って支配を続けるというわが国の政治の仕組みは大きく変わらざるを得ないのではないか。

短期間の滞在ではいかに勝といえどもアメリカ社会の仕組みを十分に理解しつくすのは至難なことです。ですが勝の脳裏にはアメリカ社会の残像が深く刻みつけられました。またこの度の渡米体験が、「国家とは何か」、「政府の役割とは何か」というテーマを繰り返し自らに問い続けていく見聞となったことは疑いがないところです。

 

 

勝と同様の体験をした者が今一人いました。福沢諭吉です。

福沢も勝とはまた違った感覚でアメリカ社会に大いに関心を示しました両者に共通するのは独特の着眼点から本質的な理解に至る能力を備えていたことです

 

 

(咸臨丸で渡米時の福沢諭吉 ウィキペディアより)

 

ご紹介するのは、『福翁自伝』にあるワシントンの子孫という有名な話です。

ある時、福沢が市内に出掛けました。一人のアメリカ人に出会い、今ワシントンの子孫がどうなっているのか尋ねたところ、女の子孫がいて「誰かの内室」になっているはずだが、今どうしているかは知らないというつれない返事が返ってきました。

福沢は「冷淡な答」と感じ、何とも思ってないことを不思議だと振り返っています。というのは当時の日本人からすれば、ワシントンは幕府を開いた源頼朝や徳川家康と同様の存在です。その子孫は当然将軍に就くもの、誰もが考えてしまいます。その常識をいとも簡単にひっくり返されてしまった感じがしたのでしょう。

「アメリカは共和国、大統領は四年交代であることは百も承知」の福沢でしたが、「社会上のことについて全く方角がつかなかった」と述懐しています。

 

さて本日はここまでとしましょう。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「勝海舟全集8 海軍歴史Ⅰ」 講談社

・「咸臨丸、海を渡る」 土居 良三 中公文庫

・「幕末軍艦咸臨丸」 文倉平次郎 中公文庫

・「福翁自伝」 福沢諭吉 角川ソフィア文庫