こんにちは、皆さん。

歴史大好き社労士の山路 貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。

 

【異国で果てた水夫たちの命】

 

咸臨丸の一行はサンフランシスコ市民から熱烈な歓迎を受けました。この挙行にはこうした華やかな光当たる部分がある一方、悲しい影となる部分もありました。

未知の挑戦は過酷な航海を強いることになりました。そのため航海中に病に倒れた者もいました。とりわけ衰弱が激しかったのが、水夫(かこ)の源之助と富蔵でした。両人とも塩飽(しあく)諸島(※)出身の水夫で、咸臨丸に乗組んだ水夫の多くがこの諸島出身の者たちでした。

 

咸臨丸に同乗していた医師たちから両人を上陸させて療養させたいとの申し出が木村摂津守にありました。そこで現地の市庁に相談を持ちかけたところ海員病院への入院の願い出が聞き届けられました。

3月1日、源之助と富蔵は現地の病院に入院しています。2名の付添も許されました。

しかし翌2日、源之助が亡くなります。享年25歳。同9日には富蔵も27歳でその生涯を閉じました。

二人の前途ある若き屈強な水夫たちがこの航海で病気に苛まれ命を落としました。このことは今からおよそ百六十年前に挑んだ咸臨丸の航海がいかに過酷なものであったかを語り伝えるものです。

 

二人の死は、仲間の水夫たちを深く悲しませました。

気落ちしている水夫たちの姿を見て勝は、戦場で討死したよりもはるかに名誉ある功名だと話し、彼らの心を慰めました

その勝の心を知った医師牧山が一首を詠んでいます。

 

されば世に残るうらみもあらざらん

ここを戦さの庭と思得ば

 

勝は吉岡勇平、牧山と数名の水夫そしてブルック大尉と共に市内の石材店を巡り墓石の注文をしています。埋葬することが許可され手厚く葬られた源之助と富蔵の両人の墓石の表面には英字が、裏面には日本字が刻まれました。

源之助の墓は、英字で『GIN-NO-SKI』の名が印され、裏面には、

 

 

      『日本海軍咸臨丸水夫

               讃岐国塩飽広島青木浦

                      源之助墓

        二十五歳』

 

と碑面には記されています。同様に富蔵の墓には、

 

      『日本海軍咸臨丸水夫

               讃岐国塩飽佐柳島

                      富蔵墓』

 

とあります。

 

 

名の墓には咸臨丸の乗組員たちだけでなく、当時のサンフランシスコ市民たちも詣でてくれています。咸臨丸に乗船した長尾幸作(木村摂津守の従者)が残した記録には、

「大小の花やお供えの品を持った現地の男女が墓に参じてくれ、訪れる人たちの姿は絶えることがなかった」とあります。

百六十年前、遥か異国の地で命果てた若者のことを思うとき、こうした人たちによって源之助と富蔵の霊深く慰められたことに日本人の一人として安堵と感謝の念を抱くのは私一人ではない思います。

 

 

もう一人、アメリカの地で亡くなっています。火焚(かまたき)峯吉でした。

峯吉ら数名は咸臨丸が帰国する日までに回復しなかったため彼らをこの地に残して咸臨丸は帰国の途に就きました。峯吉が亡くなったのは咸臨丸がサンフランシスコ港を出航した後のことでした。

そのためその墓はアメリカ人ブルックス(名は似ていますが、ブルック大尉とは別の人物)という人物によって建てられました。

ブルックスは、この地の貿易商で後に初代サンフランシスコ総領事に就任した人物です。また先に源之助と富蔵の葬儀についてもブルックスは吉岡から相談を受け、骨を折ってくれています。

 

ブルックスは勝や木村たち日本人に非常に好意的な態度を示し手厚くもてなしてくれました。咸臨丸がサンフランシスコに寄港してから離れるまでの間、乗組員一行の世話を焼いてくれ、勝や木村にとってはいくら感謝してもしきれぬ程の恩を受けた人物です。

勝は「海軍歴史」の中でブルックスのことを、「(同地に滞在中)食料、その他のものすべてについて用が足りるようにしてくれた。上陸する際には波止場に出迎え案内してくれ、(一行を見て押し寄せる)群衆を制してくれ、諸事に亘り不都合がなかった」と書いているほどです。木村もこの人物の親切に心から感謝しています。

 

 

 

 

当時三人はサンフランシスコ市内のローレルヒル公設墓地に埋葬されましたが、その後、市がその周辺で墓地を禁止したため彼らの墓も移転しました。現在は同市の市街から30キロほど南にあるコルマの丘と呼ばれるところにある日本人共同墓地の敷地内に三人は静かに眠っています。

 

 

(左から富蔵、峯吉、源之助の墓)

 

 

さて歓迎セレモニーを一通り受けた勝や木村たち一行はこの後、サンフランシスコからメア・アイランド(サンフランシスコの北東部)に移ることになるのですが、そのことは次回にお話することにいたします。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「勝海舟全集8 海軍歴史Ⅰ」 講談社

・「咸臨丸、海を渡る」 土居 良三 中公文庫

・「幕末軍艦咸臨丸」 文倉平次郎 中公文庫

 

※塩飽諸島…瀬戸内海の中でも、岡山県と香川県に挟まれた備讃諸島の西半部で、瀬戸に浮かぶ大小合わせて28の島々(ウイキペディアより)。

(上記の写真は、旅倶楽部「こま通信」日記 サンフランシスコの「日本人墓地」

 また下記の写真は「咸臨丸子孫の会」の各記事からお借りしました)