こんにちは、皆さん。

歴史大好き社労士の山路 貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。

当ブログを始めたのは、一年前の今日、1月17日でした。これから2年目に入ります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて今回は咸臨丸がアメリカを目指すために選択した航路とこの時期の天候のお話から始めるとしましょう。

 

【咸臨丸が進んだ航路について】

 

咸臨丸が選択した航路は、大圏航路(大圏コース)(※)と言われるものです。大圏とは「地球表面に描いた大円」のことで、地球上の二点間を結ぶ最短距離の航路となります。

 

 

(大圏航路 安達 直氏の『船学』より)

 

 

ポーハタン号の提督らは当初、かつてペリーが黒船で日本にやって来た時の南アフリカ経由の航路を逆回りコースで遣米使節使節の正使副使らと共に帰国する考えでした。

太平洋横断して米国西海岸にたどり着く航路を提案したのはブルック大尉です。ブルックは自身が率いるクルーと共に咸臨丸より小型の測量船で太平洋を航海した経験がありました。ブルックは自身が立てた航海計画で大圏コースを採用すれば30日余りでサンフランシスコに到着できると見込んでいました

日本側にも早くたどり着かねばならに事情がありました。咸臨丸はポーハタン号より艦の大きさも馬力も小さい船です。その上、百人を賄う水や食料などを積み込んだものの収容スペースには限りがあるため最短距離の航路を使ってできるだけ少ない日数で米国にたどり着く必要があったのです。

 

大きな誤算もありました。季節です。

前年7月、ブルックが太平洋の測量のために航海した時には海が大きく荒れることがありませんでした。ですが厳冬の時季の北太平洋の海域は温帯低気圧が発生しやすく、悪天候になれば台風並みの暴風雨に巻き込まれる危険性もあります。咸臨丸は最悪の時季に大圏航路による日本人初の太平洋横断に挑戦したわけで、現在の気象予測からすれば、外洋航海の経験がない彼らがするチャレンジとしてはあまりに無謀過ぎるものだったことになります。

 

 

【怒りを爆発させたブルック】

 

1月25日は海が荒れ模様となった日で、ブルックの日記によると「船は風上後半部に波をかぶりキャビンが洪水になった」とあります。

「海は非常に荒い。…(中略)…日本人たちは全く我々に頼りきっているようだ。」

当直が小野・浜口の組と万次郎が代直に立つ場合は、咸臨丸の操艦は日本人の手によって何とか行われていました。ですが必ずしも十分な働きができなかった組もありました。そんな場合はブルックが指示した部下のクルーたちが手を差し伸べていたようです。

 

(咸臨丸難航図、横浜開港資料館保管)

 

 

日本人士官たちの船内の様子について、ブルックはこれが軍艦に乗船する士官なのかという辛辣な見方をしています。

ブルックが船内で目にしたのは、船室のドアを開け放し揺れるたびにバタン、バタンと音を立て、コップや皿は床の上を転げ廻る光景でした。ブルックからすれば。「全くだらしのないこと言語道断」でした。

任務を負った軍艦内においては「規律」と「秩序」がいかに重要かつ不可欠なものか、この点に関して日本人の理解は不十分だったのです。

「規律とか秩序とかは日本人の習慣に相容れないものだ」と記したブルックはこの国の海軍の改革が必要だと強く感じ、自らがその指導に当たろうと決意します。

 

 

1月27日、咸臨丸はこの航海において最大のピンチを迎えます。

前日、南東から風が吹き、海も穏やかでした。しかしこれは温暖前線と寒冷前線を伴った温帯低気圧が通過する前の「時化前の静けさ」で、暴風雨に襲われる予兆でした。

ブルックは風が強まる前の段階で嵐が近いことを予想し荒天対策が早急に打たねばならないと気持ちを引き締めていました。ところが日本人たちが全く無警戒であることに驚かされます。すぐに万次郎を呼びにやり初めて士官たちの招集を掛けたところ、「当直士官のみならず、すべての士官たちを船尾に集めることに成功」しました。

 

暴風雨が近づいているにもかかわらず何らの対策を取ろうともしない日本人たち苛立ちを感じたブルックはついに怒りを顕わにしました。

このとき初めて日本人の士官たちに自ら指示を出し悪天候に備えるための指導を行ったようです。低気圧が接近すると当直でも船室に引きこもってしまう士官たちに当直は必ずデッキに立つように求めました。当直が守られないことを厳しく咎め、規律と秩序の重要性を訴えたのです。

 

 

さて本日はここまでとしましょう。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「勝海舟全集8 海軍歴史Ⅰ」 講談社

・「咸臨丸、海を渡る」 土居 良三 中公文庫

  「大圏航路」についてはコトバンクより。また大圏航路図は、安達 直氏の投稿されている『船学』の「漸長緯度航路と大圏航路」より引用。

 

 

<お知らせ>

 今年の夏、東京都大田区「勝海舟記念館」がオープンします

 大田区のホームページの紹介を見ると同記念館では海防意見書(草稿)や咸臨丸航路図などが展示される予定となっています。

 

勝海舟夫妻のお墓は大田区に洗足池の畔にあり、この地に眠ることを勝自身が望んだと言われています。こうしたことから大田区にある文化財建造物を活用し勝海舟記念館の開館が計画されました。オープンしたら私もぜひ訪ねてみたいと思っています。

なお大田区では勝海舟基金への募金協力を呼び掛けています。

協力してみたいという方がおられましたら、どうぞ大田区のホームページをご覧下さい。


こちらです。

https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/katsu_kinenkan/index.html

 

(なお私は大田区から要請や依頼を受けたわけではありません。飽くまで個人の意思でご紹介させていただいております。念のため申し添えます)