こんにちは、皆さん。

歴史大好き社労士の山路 貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。

 

【2日間放置された勝】

 

勝は1月20日、21日(安政七年)の2日間、船室に引きこもり苦しみにのたうち回っていました。他の日本人も倒れてしまったため部屋を訪ねる者もいませんでした。

勝は22日になって、万次郎から生粥一椀を差し入れられ、その後湯水や薬を与えられるようになりました。

食欲のない勝の絶食状態はその後も続き、そば粉を溶いたものをわずかに口にするだけ。万次郎がたびたび医者を連れてきては病状を見舞ったりして勝の世話をしていました。勝自身は、「故に気力無く、精神も減耗し絶えて人間に念なし」の状態で艦長としての役割を果たすことなど全くできませんでした。

 

 

【日本人を観察するブルック】

 

咸臨丸は北太平洋の海域に出ると未経験の冬の嵐の海に遭遇し、たちまち日本人たちの力だけではどうにもならい状態に陥っていました。平たくいえば「お手上げ」です。

日本側のお手並みを見るつもりであったアメリカ側でしたが、日本人たちの力量では冬季の荒れた海に全く対応できないことが明らかになりました。

ブルック大尉は、日本人たちの動きや艦の状態を冷静に観察し、艦の運航に関して日本人の手に負えないところをカバーするため自らの判断で自身の部下たちに指示を出していました。

 

こうした状態について松浦 玲先生がその著作「勝海舟」の中でわかりやすく説明されておられるのでご紹介しましょう(※)。

「日本側に一々断ることなく状況に合わせて最善あるいは次善と思われる措置を取る。日本側が能力を残しているところはそのままだった。またいったんはアメリカ側が完全に主導権を持った分野(舵や帆)でも、日本側が能力を回復してくれば、黙って手放したのである。回復が不十分であれば手を出し続ける。」 

 

艦長の勝は病人同様であったわけですから指揮官不在のまま、今や船はブルックとその部下たちによって動かされていたのです。

 

ブルックの日記(1月23日)。

「日本人が無能なので、帆を充分にあげることができない。士官たちは全く無知である。多分悪天候の経験が全然ないのだろう。命令はすべてオランダ語で下される。私は日本人が彼等自身の航海用語を持つべき必要を強く感じる」とあります。冷静に乗組員の動きを観察しながらもブルックから感じられることは、自分の手でこの日本人たちを育てやろうという眼差しです。

この日、新たな動きがありました。中浜万次郎が伴鉄太郎の代わりの当直を初めて務めたのです。これ以降、万次郎は「代直」を務める士官としての役割を担うことになりました。

 

 

【中浜万次郎の活躍】

 

翌日のブルックの日記に万次郎の行動が記されています。

「万次郎がいうには、昨夜彼が日本の水夫に登檣(とうしょう。帆柱に登ること)を命じたとき、彼等は万次郎に帆桁に吊すぞ、とおどしたそうだ。彼らがもしそのおどしを実行に移すような事をしたらすぐに私に知らせろ。命令に反抗する奴等は、艦長に私が権限を与えてくれ次第、すぐに吊してやると彼に言っておいた」。

万次郎が水夫に登檣の指示をしてみたものの、反抗されてしまったたのです。士分とはいえ元々は漁師だった男から命令されることが面白くなかったのでしょう。

 

万次郎は22日に勝の部屋を訪ねています。

恐らくこの時、勝は艦の状態について万次郎からほとんどの日本人が船酔いで倒れているとの報告を聞き、航海経験が豊かな万次郎に代わりを務めることを要請したのだと思われます。万次郎は勝の要請に応えることを決め、水夫に指示をしてみたところ、事情を知らない水夫から抵抗を受ける結果になったということなのでしょう。

ですが、万次郎の仕事振りを見た周囲の者からはやがて「土佐万殿」と呼ばれるようになりました。こうして万次郎は本領を発揮し、通詞としてだけでなく船乗りとしても皆から信頼される存在になっていきます。

 

 

(中浜万次郎像 土佐清水市のHPから)

 

 

「万次郎はほとんど一晩中起きていた。彼はこの生活を楽しんでいる。昔を思い出しているのだ…(中略)…次々歌をうたって聞かせていた」とブルックは日記(23日)に万次郎の活き活きとした様子を記しています。一言で言えば経験の違いなのでしょうが、万次郎とブルックからは何やら余裕すら伝わって来ます。日本人の大方が船酔いで倒れてしまった中、万次郎やブルックとその部下たちは粛々と自分の仕事をこなしていきました。

 

さて本日はここまでとしましょう。次回は咸臨丸の航路について話をする予定です。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「勝海舟全集8 海軍歴史Ⅰ」 講談社

・「咸臨丸、海を渡る」 土居 良三 中公文庫

・「幕末軍艦咸臨丸」 文倉平次郎 中公文庫