あけましておめでとうございます。
歴史大好き社労士の山路 貞善です。2019年が明けました。
昨年1月17日にこのブログを始め、もうすぐ2年目に入ります。いつもお読みいただいている方、ときおり当ブログをお立ち寄りいただいている方、皆様に改めて感謝申し上げます。ありがとうございます。
読者の皆様にとって本年が幸多き一年となりますよう願っております。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
では早速始めましょう。いよいよ咸臨丸出航です。
【出航目前の勝の体調】
咸臨丸が品川を出航したのは、安政七年(1860年)1月13日です。
勝は二日前の11日から咸臨丸に乗り込み、帰宅しないまま出航を迎えます。
この時の勝の体調は最悪の状態でした。無理もありません。
この度の出航準備には大変な苦労が伴ったからです。最重要事の艦の選定は今や海軍第一人者である勝の具申は取り上げられず、幕府の方針は二転三転します。そのことで士官や乗組員からは不平不満を浴び、「奉行に十倍す」る想いをしてようやくここまでたどり着いたのです。過度のストレスが溜まっていたに違いありません。しかも寒風が吹き荒ぶ中、連日咸臨丸に荷を積み替えるための必死の指揮を執り準備に当たっていたのです。
若い頃から剣術で躰を鍛えていた勝ですが、渡航直前はストレスと肉体的疲労で体調を極度に悪化させていました。
【品川から浦賀へ】
咸臨丸は1月13日午後1時、横浜に立ち寄るため品川を出航しました。この時、長崎から戻っていた朝陽丸が先導しました。艦長はこれまでに何度も登場した矢田堀鴻(景蔵)です。その日の夜に到着。
横浜に向かったのはブルック大尉とアメリカ人水夫ら11名を迎え入れるためです。16日、彼らを乗船させると直ちに咸臨丸は浦賀に向かいました。
(墨田区役所「勝海舟コーナー」展示の咸臨丸模型)
浦賀に入港する際のことをブルック大尉は自身の「横浜日記」にこう書き留めています。
「途中数隻の和船がいたが、艦長は非常にたくみに船をあやつった。我々はやっと回転できるくらいのせまい所に錨を下した」
と勝の操艦の見事さを褒めています。
さらに同日記には、
「提督と艦長も大変感じのよい人物である。…(中略)…。艦長は何だか気分が悪いようだ。私は日本人乗組員が気に入っている。我々の乗組員が落ち着いてきたら、きっと立派に折り合って行けると信じている。」
とあります。ここでブルックは、木村喜毅(よしたけ)を提督、勝を艦長と呼び、両者にいい印象を抱き、自分のクルーが日本人乗組員たちとうまくやって行けるだろうという期待を持ったようです。そして早くも勝の体調の悪さにブルックは気づいています。
ブルックは木村や勝から船の購入に関する相談を受けました。その通訳を中浜万次郎が担当しました。ブルックは通訳を務める万次郎のことがすぐに気に入りました。年齢が近く(この時、ブルック34歳、万次郎33歳)、共に十代で船乗りになるなど共通点もあり親しみを感じたのでしょう。自ら万次郎に色々なことを熱心に教えていますが、万次郎の呑みこみが良かったため双方の関係は急速に親密なものとなりました。
ブルックと万次郎との間で友人として互いに信頼する関係が築けたことは単に両者にとってだけでなく、これからの航海にとっても大きな幸運をもたらすことになります。
いくら有能で経験豊かな米国海軍士官が航海上の有益なアドバイスを与えても、船乗りの経験がある万次郎の存在がなければ双方のコミュニケーションに支障が生じてしまいます。その意味でブルックはこの航海で自分の役割を果たすことができそうだという明るい希望を持つことができたに違いありません。
【手間がかかった水の補給】
長い航海では水は生命維持のために貴重かつ必要不可欠なものです。そこで浦賀では16日から18日の3日間停泊し、水と生鮮食料の補給を行っています。船内に積み込める水櫃には限りがあるため水の使用の仕方と一日の量について厳格なルールが定められました。
水の補給には相当に手間取ったことが、当時の水夫の記録からうかがえます。水桶を積み込むのに港内の店や伝馬船の物売りから大量の水を買い入れたのですが、作業が完了したのが「その夜九つ時迄」、つまり夜中の12時頃までかかったわけです。その間、勝は上陸してその指揮に当たっていました。労に報いるため水夫と火焚たちには褒美として金15両が下されています。どうやら勝が与えたようです。
水と食料の補給を終えた咸臨丸はいよいよ冬の北太平洋へ乗り出していきますが、そのことは次回にお話しましょう。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
ところで今年、皆さん心の中の『咸臨丸』はどこを目指し、どんな航海に出るのでしょうか。
【参考文献】
・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房
・「勝海舟全集8 海軍歴史Ⅰ」 講談社
・「咸臨丸、海を渡る」 土居 良三 中公文庫
・「幕末軍艦咸臨丸」 文倉平次郎 中公文庫