こんにちは、皆さん。

歴史大好き社労士の山路 貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。

 

【度重なる艦の変更に苛立つ勝】

 

前回の続きです。

勝らの艦に同乗することになった米国海軍士官ブルック大尉は使用する船が旧式の外輪船の観光丸であることを知ると、「同船は遠洋航海には向かない。冬の荒れた海を航海するにはスクリュー船が良い」と進言しました。

幕府はすぐさまブルックの意見を採用し、翌12月24日(安政六年)、観光丸から咸臨丸に変更するように言い渡しました。

このことを伝えられた勝は衝撃を受けます。前回紹介した象山宛ての手紙を書いた直後に全く予想外の事が二つも起きたからです。

 

一つ目は、日本人だけで挑戦するわけにはいかなくなったことです。

ブルックと彼のチーム員を乗せることは勝らのプライドを傷つけたとしても、この度の挑戦が危険この上ないもので、命がけの航海となることは誰もが承知しています。もとより力を貸してもらうのを望んではいないものの、航海上のリスクの大きさを考えれば外洋航海の経験を持つブルック一行が大いに役立つ存在になることは勝ならすぐに理解ができたはずです。ですからこのことは受け入れられなくはありません。

 

しかし船のことは違います。もともと勝は最新式のスクリュー船(朝陽丸)を使用することを提案していたからです。それを観光丸の方が大きいから変更すれば批准使節の荷物も積むことができるからという理屈で、軍艦奉行井上清直が勘定所の役人を説得し渡航が認められた経緯がありました。

その決定があったのは前月11月18日で、すでにあれから一か月以上経っています。観光丸はほぼ修理を終え、朝陽丸に積まれてあった荷も今は観光丸の船底に収まっていました。水夫(かこ)や火焚(かたき)を使って夜を徹しての作業で今日に至っていました。勝は怒りを抑えることができませんでした。

 

 

艦変更の経緯を「海軍歴史」の記述で見ると勝の怒りが浮かび上がってきます。

「アメリカの測量船将(ブルック大尉のこと)らが、幕府に観光丸は遠洋航海に向いておらず、他の軍艦を当てるべきとの提案書を提出した」。

このことを聞いた勝は、

「自分は初めからこの説を主張してきた。スクリュー船(朝陽丸)の使用を具申したが艦の小ささが問題になり、観光丸への変更が決まった。修理を行い索具(綱で作った船具のこと)の類を全て作り直し作業完了は目前だ。もし米国人の提案で再び他の軍艦に変更するなら「万事甚だ不都合ならん」と憤っています。

 

 

(朝陽丸 ウィキペディアより)

 

勝にすれば、

それ見たことか。だからあれほど朝陽丸が良いと具申しておいたのに、それを軍艦のことなどよくもわかりもしない連中が無責任にも素人判断するからこんなことになるんだ。「憤懣(ふんまん)やるかたなし」とはこのことです。今になって変更しろとは何事かと、腹立たしい想いで一杯だったに違いありません。

『勝義邦航米日記』によると、

「今又亜人(ブルック大尉のこと)之説に忽ち咸臨船となりしかば、従来莫大之費用と時日を失い修理せし二船(朝陽丸と観光丸)忽ち無用」。

これまでに要したカネと時間がムダになってしまうと嘆いています。

 

この時、神奈川に停泊していたスクリュー船は咸臨丸で、朝陽丸は少し前、長崎に向けて出航したばかりでした。

勝は今更の変更に猛抗議を行いましたが変更が決定してしまった以上、どうにもなりません。はらわたが煮えかえる想いを勝は必死で抑えながら受け入れるしかありませんでした。

 

 

【不満が爆発した水夫と火焚】

 

その勝以上に不満を表明したのは、水夫や火焚たちでした。

すでに当初の予定が変わり、一度準備した作業のやり直しを命じられていました。さらに出航までの時間がないからと徹夜での作業を求められていました。それにもかかわらず今また新たな変更を命じられたのです。コロコロと方針が変わること、再び咸臨丸の修理と荷の積み込みを命じられたことに今度は水夫たちの怒りが爆発しました。

「これ以上振り回されて重労働させられるのは御免だ、いい加減にしてくれ、もう船から降りる」と言い出す者さえ出る始末です。

勝は懸命に説得にあたりますが、長崎時代から勝と苦楽を共にしてきた水夫や火焚たちもさすがに堪忍袋の緒が切れたのでしょう、勝の言葉にも耳を傾けてくれません。

『同・日記』によると、

「水夫等その使役の甚しきと反覆(はんぷく)常なきことを憤り、怨言耳に満ち嘆願日々起り、如何とも為すべからず」とあります。

 

年明けの出航に備えて勝は年内一杯で作業を完了させるように彼らに命じていました。その年もあと一週間を残すばかりとなり観光丸への荷積み作業は大詰めを迎えていました。作業完了目前になってまたまた船の変更を命じられたのですから、「なんて仕打ちだ!」という怨嗟の声が起きても当然でし

 

上からと周囲からの圧力や反対の声を抑えて、やっとここまできたという想いが勝にはあったはずです。ところが幕府の二転三転する方針変更に翻弄され、今度は勝が頼りとしていいた水夫や火焚たちを怒らせ、猛反発を食らうことになったのです。彼らは勝の必死の説得にも応じようとしません。水夫たちからの怨み言を一身に浴びた勝は途方に暮れるしかありませんでした。

 

 

さて本日はここまでとしましょう。次回は勝がこの危機をどう乗り切ったのかをお話します。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「勝海舟全集8 海軍歴史Ⅰ」 講談社

・「咸臨丸、海を渡る」 土居 良三 中公文庫

・「幕末軍艦咸臨丸」 文倉平次郎 中公文庫