こんにちは、皆さん。

歴史大好き社労士の山路 貞善です。

いつもお読みいただきありがとうございます。

 

さて黒船来航から開国に至るまでの流れはかなり複雑なため、お話するのに随分と手間取ってしまいました()。そろそろこのブログの主人公である勝海舟の話に戻りましょう。

 

この頃、わが海舟先生は幕府の動きをどのように見ていたのでしょうか。

安政元年(1854年)12月、勝は竹川竹斎(伊勢の豪商)に宛てた手紙にこのようなことが書いています。

「当時は御目付大久保右近将監(うこんしょうげん、大久保忠寛のこと)と申す仁、これは殊更(ことさら)之人物、学問心術兼備之一英傑と存じ候人」、また「岩瀬修理(しゅり、岩瀬忠震(ただなり)のこと)、堀織部などと申すは、当今之人物」と幕府内の有能な人物の名を挙げて紹介しています。しかし、それ以外の大方は頭の固い連中ばかりで人物が得難いことは昔も今も変わりがないと嘆いています。

 
 

手紙にある大久保忠寛(後の一翁)はこの時期、目付・海防掛に任じられており(嘉永七年5月、同年11月に安政に改元)、勝が提出した海防意見書には当然目を通していました。それをきっかけに大久保は勝に注目し勝宅を訪ねてくるようになり、互に海防に関する意見を交換しあい安政元年の暮までに両者はかなり親しい間柄になっていました。

 

幕府はすでにオランダに軍艦の発注をしていましたが、その後オランダと交渉していく中で、中身が具体的になっていきました。幕府は蒸気軍艦二隻の製造購入と海軍建設のために教育訓練してくれる教官団の派遣依頼を正式に決定しオランダに要請しました。

勝はその情報を入手していました。上の手紙には、「来春は蘭人より蒸気船並びに右の学術教授の大先生参り候。…(中略)…教授の学術は、砲術、究理、天文、地理、航海、器械、兵学と申事にて候」とあります。続いて「幕府の士より人物御選びにて修行仰せ付けられ候由」と幕臣の中から人選され海軍づくりの修行を命じられることになったが、どのような者が選出されるのだろうかと書いています。このとき勝はその対象者に自分が選ばれるとは考えていなかったようです。というのは、勝は兵学家として大砲や砲台について学んだものの軍艦や海軍の専門家ではなかったからです。

 
 

翌安政二年(1855年)正月18日、勝は幕府から初めて「下田取締掛手付(しもだとりしまりがかりてつけ)という役を拝命します。この役は蘭書を翻訳する仕事で後に蕃書調所と命名される機関での出役でした。同じ時期、箕作阮甫(みつくり げんぽ)も同役に任命されています。この人物の名を覚えておられるでしょうか。以前にこのブログでも登場した人物です(第8話)。そうです、勝が蘭学を学び始めた頃、最初に弟子入りを申し出て断られた師です。その人物と同じ時期に蘭書翻訳の仕事に就くことになったというのも奇縁というか不思議な巡り合わせと言えるかもしれません。

 

 

ところで勝の最初の仕事は翻訳作業ではありませんでした。このとき大久保忠寛は勘定奉行 石河政平と共に大坂と伊勢の海岸を検分するという命令を受けており、その海岸巡視のための調査団に勝が随行することになったのです。そのためこの海岸視察が勝の幕府での初仕事となりました。海防意見書の提出以来、勝の考えに注目していた阿部正弘が大久保からの報告を受け、勝麟太郎を抜擢したのでした。

勝が大久保らと江戸を出発したのは同月23日。一行は百五十人規模の調査団でした。
 

 

勝は出張した伊勢松坂でかねてから手紙のやり取りがあった竹川竹斎、竹口信義の兄弟に会っています。勝はこの時、大久保を両名に引き合わせ、開国や国防について意見交換を行い親密な関係をさらに深めています。

その後、一行は大坂に向かい、勝自身はそこから和歌山まで行き再び大坂に戻り、そこで灘の酒屋である嘉納治右衛門という人物に会っています。嘉納治右衛門も蘭学修業時代に出会った渋田利右衛門と深い関係を持つ人脈の一人です。

この出会いから七、八年後の文久年間から元治年間にかけて勝は神戸で海軍建設のための仕事をするのですが、その頃 多大な経済的な援助をして勝を支えたのがこの嘉納治右衛門です(第12話)。

その後勝は兵庫、淡路島まで視察の足を伸ばしています。「兵庫の地は繁栄の処、捨て置きがたく」と竹川竹斎への手紙の中で書いており、兵庫の地に注目しています。後に勝が神戸に海軍操練所をつくることを幕府に提言するのは、このときの視察で兵庫の繁栄ぶりを目にしたことが大きく関係していると考えられます。

 

 

勝が江戸に戻ったのは同年4月3日ですが、途中浦賀に三日滞留し房総とその周辺を見て廻りました。勝は生まれて初めて江戸を出て、一兵学家としてではなく幕府の海岸防備を立案すべき役人の一人として各地を巡り視察に当たりました。そこで勝が目にしたのは、湾内に侵入してきた外国船に対抗できるだけの備えの不十分さであり、軍事力に関する彼我の隔たりはあまりに大きいという現実でした。

 

視察し現状分析を行い、問題点を整理した上で検討した対策を答申書にまとめる。与えられた任務を果たすということからすれば、初仕事は勝にとって厳しい現実を知らされる苦い経験であったかもしれません。けれども勝には大きな収穫ありました。江戸以外の世界に触れ見聞を広めたこと、竹川・竹口兄弟や嘉納治右衛門ら開明的な有力商人と意気投合し交流を深めたこと。そしてそれ以上に大きかったことは旅を通じて上司であり先輩でもある大久保忠寛の人となりに触れ、語り合い意見を交わすことができる濃密な時間を共有できたことでした。奇しくもこの二人が力を合わせて徳川幕府の幕引きを行うのは、このときから十三年後のことになります

 

 

さて本日はここまでとしましょう。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「勝海舟全集2 書簡と建言」 講談社