こんにちは、皆さん。
歴史大好き社労士の山路 貞善です。
前回まで3回に亘り(第21話から第23話まで)、勝が書いた海防意見書のほぼ全容についてご紹介しました。
では勝の意見書が注目を浴び高く評価された理由はいかなるものであったのでしょうか。
それは目的(国防)のための目標(達成すべき地点)を具体的に示したことにありました。勝は五ヵ条の中で現状を踏まえて幕府が取り組むべき課題とは何かを明らかにしました。すなわち、
1)政治改革、2)軍艦保有の意義と資金調達、3)江戸の防備、
4)兵制改革と旗本の救済、5)武器製造体制の確立
でした。
設定した各目標を実現するための具体的な対策を示し、その提案は合理的な根拠をともなうものでした。しかも優れていたのは、それぞれの大きな目標に到達するまでの段階的な道筋を示したことにあります。そうすることで中間段階における目標を設定し、クリアしながら前進していけば到達できるという実現可能なイメージを阿部ら老中や若年寄らの幕閣に抱かせることに成功したのです。
幕府に寄せられた意見書には、第21話に紹介したようなユニークなアイデアではあっても荒唐無稽なものもありました。交渉して開国するかどうかの決定を引き延ばし、時間を稼いでその間に砲台や軍艦の準備を進めれば良いという内容のものが多く含まれていました。
意見として至極真っ当なものであったのでしょうが、そうした意見の多くが具体的なプランを示すことはありませんでした。
また夷狄を打払いこれまで通りに鎖国を続けよという意見も多く含まれていました。
鎖国を続けるということは、現状維持するということです。なぜそう考えたのか。それは変化を恐れたからです。今のままでいる方が楽だからです。人が感じたり考えたりすることには昔も今も大きな違いはないということでしょう。
勝のこの上申書における最大のメッセージは、この国を守り未来を切り開くためには旧弊を改め、たとえそれが痛みをともなうものであっても大胆な改革を行わなければならないということでした。一言でいえば「変わることを恐れるな」ということです。
人は誰でも自分を変えたいという願望を持っていますが、そうなるために必要なことが一つだけあります。それはこれまで無意識に過ごしてきた時間を目標に向かって行動する時間に意識的に振り向ける決意をすることです。そしてこれまでの意味のないしきたりや悪しき習慣を改め、自分で決めた目標を達成するための新たな習慣を身につけること。つまり具体的な行動だけが変わることにつながる、勝が提言したのはこのことです。
勝がこの意見書に籠めた想いは、変化を恐れず現実を直視し、
西洋諸国とこの国の違いに目を向けよということでした。
第一条に示された勝の考えは「人材登用」と「言路洞開」でしたが、ここで勝はこれまでの幕府政治を見直すことを求めているのです。こうした考えは幕政改革の議論につながる一方、幕末期を通じて勝が行う政治活動における基本的な姿勢がすでにこのとき垣間見えています。
第二条。数多くの意見書の中で勝の独自性が最も認められるとされるのが、莫大な軍事費を捻出する財源を外国との交易に求めよと提言している点です。
ではどうして勝は幕臣でありながらこのような発想ができたのでしょうか。
すでにお話したように勝はこれまでに豪商と呼ばれる経済力のある商人たちと交際してきています。商人たちは積極的に世界の動き知り海外との交易を自分たちのビジネスチャンスとして捉え、前向きに取り組む考えを持っていました。そんな考えの持ち主と出会い、また手紙をやり取りする機会があった勝は、彼らから交易に関する話を聴き、様々な情報を得ていたはずです。
さらに第13話でお話した竹川竹斎が書いた外国との交易を論じた「護国論」を読んで得た知識を活かして提言に反映させました。
松浦玲先生はその労作「勝海舟」(筑摩書房)で「竹斎の著書は嘉永六年のうちには幕閣の称賛を得た」と指摘されています。このように勝の意見具申や竹斎の著述により幕閣の交易に関する理解は次第に深まっていったのです。
第三条では、上陸する敵兵と戦う前に命知らずの武勇を誇る者や荒くれ者が敵軍艦からの砲撃で無駄死にさせることが無いよう警告しています。勝海舟ほど人の命を大切に考えた政治家はいません。そうした想いはこうした処にも表れています。
第四条と第五条では旗本救済策を提案していますが、今の時代でいうなら立派な雇用対策の立案といってもおかしくありません。かつて戦場に駆けつけて主君のために戦うのは武家の役割でしたが、二百年余り太平の世が続いたことにより、日頃から身体を鍛えて備えるという習慣は失われました。しかしそうした者たちに訓練参加の手当を支給するというインセンティブを与えながら、鍛え直して兵力の充実を図るのが良策と主張したのです。
また勝の視線は旗本の中でも低収入の者や病身な弱者にも向けられており、こうした点は貧乏生活を長く強いられた勝ならではの配慮が行き届いた対策と言えます。
海防意見書の提出は勝海舟が「幕末のメンター」として踏み出す第一歩となるものでした。
勝はこの意見書により世に出るきっかけを得たと言われていますが、この3回のブログをお読みいただければ、この意見書が当時の幕閣の目に留まり、高く評価されるだけの根拠と説得力のある内容を備えたものであったことがおわかりいただけるのではないでしょうか。決して奇をてらいタイムリーに意見書を提出したことで偶然採用される幸運に恵まれただけではなかったのです。
さて本日はここでお開きとしましょう。
長文にもかかわらず今回も最後までお読みいただきましたことに深く感謝いたします。ありがとうございました。
【参考文献】
・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書
・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房