こんにちは、皆さん。
歴史大好き社労士の山路 貞善です。
弘化四年(1847年)、勝が二十五歳の時でした。
ある時、蘭学修業を続ける勝は本屋である書物を見つけます。それは三千ページにも及ぶ「ヅーフハルマ」という日蘭辞書全五十八巻でした。
この辞書は、元々長崎でオランダ商館長であったヅーフが個人的につくり始めたものですが、「幕府から通詞の語学力の向上を目的とした要請を受け、…(中略)…長崎の通詞十一人の協力を得て1816年から本格的な編纂が開始され」、その後、ヅーフはオランダに帰国してしまったため、通詞たちが協力して天保四年(1833年)に完成させたものです(「ドゥーフ・ハルマ」 ウィキペディアより)。
「ヅーフハルマ」の複製は印刷ではなく、写本すなわち手書きで写すことでしか作成されなかったためわずか三十部余りしかなく、そのため大変高価なものとならざるを得ませんでした。
完成した「ヅーフハルマ」は幕府に献上されますが、一般的な公開のための出版は認められませんでした。その理由として、当時の幕府が西洋の書物が人々の目に触れることで幕府に対する批判的な考えが生まれるのを嫌ったためと考えられます。刊行が許されるのはペリー来航後の安政元年(1854年)になってからのことでした。
蘭学修業に熱く燃えていた勝にとって「ヅーフハルマ」は喉から手が出るほど手に入れたい代物です。
早速、店の者にその値がいくらかと尋ねます。しかし返ってきた返答は何と「六十両!」という目の玉が飛び出るような値段でした。
現在の価格に換算するとおよそ七十八万円位(いくつかの換算の仕方がありますから一つの目安としてお考え下さい)になります。
当然、貧乏生活を営む勝には高価過ぎてとても手が出ません。
しかし蘭書を読むにはどうしても辞書が要ります。師の永井青崖も持っていませんでした。
何としても手に入れたい勝は頭をひねってどうするか一日考えます。ですがうまい考えも浮かばないままに一夜が明け、再びその本屋を訪ねてみると何とヅーフハルマはすでに売れてしまっていました。
焦った勝は買い手の姓名を聞き出そうとします。買主に会いに行くためでした。店の者から赤城玄意という蘭医が購入したことを知ると勝はその足で、赤城を訪ねて面会を求めヅーフハルマを貸してもらえないかと頼み込みました。
粗末な身なりの突然の訪問者に不信を抱いた赤城は、「お貸しできない」とにべなく断りました。こうして最初は貸せないという返事しかもらえなかった勝でしたが、粘り抜いてある提案を持ち掛けます。
「では年十両の損料(今で言えば、レンタル料ですね)をお支払いしよう。その手付として二両ではいかがか」
蘭学を学ぼうとする勝の本気が伝わったのでしょう、根負けした赤城は勝の申し出を受け入れました。
とはいえ貧乏な勝には二両は大金です。自分では用意できないため、師の永井に用立ててもらい支払いました。
こうして借り受けた「ヅーフハルマ」の第一巻と第二巻を勝はその日の夜から筆写し始めます。弘化四年(1847年)の秋からほぼ一年間、勝はこの辞書を写す作業に専念しました。しかも二組分です。
勝はこの「ヅーフハルマ」の筆写作業に並々ならぬ情熱を傾けて当たりました。勝の告白によれば、昼夜の区別なく机に向かい、眠くなれば机にもたれて眠り、目覚めては再び作業に取り掛かることを繰り返し、翌年(嘉永元年、1848年)8月にようやく二組の筆写を終えました。
こうして勝は五十八巻にも及ぶ日蘭辞書を自らの手で筆写するという現代の私たちには想像すらできないほど気の遠くなるような作業をおよそ一年かけて続け、二組の辞書を完成させるのです。現代のようなコピーやパソコンといった便利な道具は一切ない時代です。灯りといえば蝋燭(ろうそく)しかありません。
また安価で質の良い用紙が難なく手に入る今の時代と違い、辞書のために使用する一定量の紙を入手するのは容易なことではありませんでした。当時、紙はとても貴重なものであったのです。ましてや勝が筆写するために必要とした紙は文字がにじんでしまえば辞書として使い物になりません。苦しい生活の中からおカネを工面して一定の品質のものを買い求め、使用するペンにも様々な工夫を重ねて勝は作業を続けたのでした。
この頃の勝を突き動かしていたものは、
オランダ語を何としても習得しようとする
頑ななまでの固い決意と高い向上心であり、
それを支えていたのは剣術と禅の修行によって
培われた強い執念であったと言えます。
さて今回はここまでとしましょう。
次回も「ヅーフハルマ」の話をもう少し続けます。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
【参考文献】
・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書
・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房
・「現代視点 勝海舟 戦国・幕末の群像」 旺文社
・「歴史をつくった先人たち 日本の100人 NO.6 勝海舟」
デアゴスティーニ・ジャパン
・「ドゥーフ・ハルマ」 ウィキペディア