こんにちは、皆さん。

歴史大好き社労士の山路 貞善です。

 

さて麟太郎が生まれた時、小吉はまだ座敷牢の中にいました。

小吉はよほど働くことが嫌だったらしく、麟太郎が三歳になると「隠居して息子に家督を譲りたい」と飛んでもないことを言い出します。小吉がまだ二十五歳の頃のことでしょうが随分、無茶な申し出です。

 

それを聞いた父平蔵は、小吉に「それは悪い了簡(りょうけん)だ。これまで様々な不埒(ふらち)があったのだから、一度は旦那(幕府のこと)にご奉公し、世間の人たちから悪口を言われないようにして、家にも孝養して、その上でなら好きにして良い」と言って聞かせます。

諭された小吉は「尤(もっと)ものことだ」とはじめて気がついたというのですからあきれるしかありません。

 

こうしてようやく小吉は働く気になったわけですが、当時、小吉らの幕臣が属する徳川幕府という大組織の中で身分が低い旗本が暮らしていくのはとても大変なことでした。

 

 

勝 小吉は、禄高が四十一石の絵に描いたような貧乏旗本「小普請組(こぶしんぐみ)」という組織に属していました。

小普請組という名称は、江戸城の屋根瓦や塀の崩れたのを直すなどの小さな普請(ふしん)を手伝わせる義務を負っていたところからそのように呼ばれるようになりました。つまり普段は仕事が無い(これを「無役」といいます)の生活を送っていました。しかしそんな小吉も今や心を入れ替えて妻や生まれてきた息子のために働かねばならなくなりました。

 

そのため上司である組頭に役に就けるように運動します。現在でいえば就職活動のようなものですね。役に就くとなれば武士の正装である裃(かみしも)を用意しなければなりません。小吉も二十両を借り出すなど金策してあれこれと必要なものを揃え、かなり熱心に運動をしたようです。ところがこれまでの放蕩三昧の生活が祟(たた)ったのか、役目がなかなか廻ってきません。

 

というのも任用に当たっては、組頭が小普請組から選ばれた者の素行や生活態度を報告する決まりになっていたのです。となれば小吉のような乱暴者は真っ先にはじかれてもおかしくありません。また面倒を起こすかもと心配したのかもしれません。そのせいかどうかはわかりませんが奮闘して運動したものの、小吉はとうとう生涯、役に就けないままに終わりました。

 

小普請組の旗本が、幕府の役職に就くことを「御番(ごばん)入り」言いますが、小吉は「御番入り」できなかったのです。

そこで仕方なく小吉は町で道具屋をしたり、刀剣のブローカーのようなことをしたりしながら生計を立てていました。おかげで麟太郎の子供時代の勝家は貧しい生活を送らねばなりませんでした。

 

 

ところで小吉の悪い面だけを紹介するのは片手落ちというもの。

小吉の名誉のために良いところも触れておかねばなりません

小吉は世話焼きな面もあったようで、「夢酔独言」の中でこんなことを語っています。

 

ある日、ある老人からこんなことを教えられます。

 

『世の中は、恩を怨みで返すが世間のならいだが、

おまえはこれから怨みを恩で返して見ろ』

 

「小吉は言われた通りにしたところ、おいおい家のことも治まって、やかましいばばあ殿も、だんだんおれを能くしてくれるし、世間の人も(おれのことを)用いてくれるから、それから

人の出来ぬ六ヶ敷い(むつかしい)相談事や掛け合い、

その外何事にかぎらず手前のことのように思ってしたが、

しまいには(以前に)おれに向かってきた奴らが、

だんだん(おれに)従うようになって来て、

『はいはい』と言いおる

これも、かの老人のたまものとうれしく…」

 

思うようになったと書いています。

 

後に勝は徳川家の代表として官軍参謀の西郷吉之助に会い、どのように決着させるか極めて難しい交渉役を引き受けることになりますが、こんなところは父小吉譲りの世話焼きの血が勝の体には間違いなく流れていたことをうかがわせます。

 

 

小吉は剣術が好きで熱心に道場にも通い修業もしましたが、無頼の徒とも交際があり、喧嘩や駆け引きが上手で腕も滅法強かったため仲裁を頼まれたりすることもありました。

他人のために惜しみなく骨を折ったりする面があったことでそれなりの人望もあり、市井の顔役的存在でもあったのです

 

少年時代の麟太郎は、貧乏ながらも江戸の街に住む色々な市井の人々と触れ合う父のそんな姿を見て育ちました。

この頃の小吉・麟太郎父子が江戸で過ごす日々と風景をこよなく愛したのが、小説家 子母澤寛です。

代表作となる「勝海舟」(第1巻)の他、「父子鷹(おやこだか)」、「おとこ鷹」といった作品は、破天荒な父小吉と少年麟太郎との交流を中心に、この父子を取り巻く個性豊かな市井の人物との暮らしと江戸の風景が活き活きと描かれています。

 

後年、勝が命を懸けて江戸の街を焼き払う覚悟を持って西郷との談判に臨むことになりますが、このとき勝の脳裏には少年時代に父と過ごした江戸の風景が浮かんでいたに違いありません。

 

 

本日の最後に夢酔独言の中から名言を一つ紹介しましょう。

 

「氣はながくこころはひろくいろうすく

 つとめはかたく身をばもつべし」

 

この言葉とは対極の生き方をした小吉の言葉だけに何だかしみじみと考えさせられてしまいます。

今回は少し長くなってしまいました。

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

【参考文献】

・「勝海舟」 松浦 玲 中公新書

・「勝海舟」 松浦 玲 筑摩書房

・「日本の名著32 勝海舟」(夢酔独言)  中央公論社

・「現代視点 勝海舟 戦国・幕末の群像」 旺文社