昨年、春日大社奉祝祭に枚岡神社宮司のお供をさせていただきました折に、
 
春日祭のお話をお聞きし、拝見したいと思いましたが、
 
一般の拝観は受付はなく、招待者のみの参拝。
 
これは生涯拝観は叶わないと諦めました。
 
それが・・・
 
随行・・・
 
ん???
 
どういうことなのでしょう??
 
お供!!!
 
そんなことができるとは夢にも思っていませんでした!
 
奇跡!本当に奇跡です!
 
有難くて、有難くて、神様のお導きに感謝しかありませんでした。
 
写真撮影はNG、この目と脳をシャッターにしたい!
 
朝降っていた雨で、雨儀のため祓戸の儀は拝見叶わず、
 
太い柱を恨めしく思いつつも、この空気感を感じることができて幸せでした。
 
平安時代から変わることなく受け継がれてきた古儀、春日祭。
 
葵祭、石清水祭とともに三大勅祭。
 
宮中より天皇陛下のご名代である勅使をお迎えし、国家の安泰と国民の繁栄を祈ります。
 
私も世界の平和、生きとし生けるものが幸せに生きれるよう、地球が元気を取り戻せるように祈りました。
 
 
 
平安絵巻を観ているかのような・・・
 
目の前のことは、1200年前と変わらない儀式が執り行われている。
 
なんと貴重なところに居させていただいているのかと霊が感激しておりました。
 
春日祭斎行の準備は想像のつかないほどの大変な時間と労力がかかっている。
 
お勅使様、辨様、神職それぞれの諸役の作法を変わることなく受け継いでいかなければならない。
 
これは言うが易し行うが難しである。
 
(こんなところに言うのも畏れ多いけれど、神職の端くれの私はその作法の細かなところを習得し、それを変えずに続けていく難しさを体験している)
 
そして、枚岡神社宮司は春日大社に40年以上お仕えされ権宮司になられた方。
 
春日祭の神職も、雅楽も、大和舞も、準備の大変さも全てご存じなのだと感じいると、
 
その元で御奉仕させていただいていることは、しっかり学びなさいという神様のお導きなのだと背筋が伸びる思いです。
 
神職目線では、斎主が薦後取をしたり、お勅使様が神饌を献ずるなど驚きの作法もありました。
 
新しいものを生み出す、創造することは大切なことだけれど、
 
それ以上に、事細かに何一つ変えることなく継承する難しさ。
 
元を大切にし、その上で創造する!
 
だからこそ素晴らしい!
 
このような国は日本しかない!
 
あらためて日本という国を誇りに思いました。
 
皆さんにお伝えしたくて、PCが苦手な私ですが春日大社HPから写真をお借りしました。
 
なんせ、一枚も写真を撮らずでした。泣
 
 
 
 

 春日祭(かすがさい) ※拝観不可

宮中より天皇陛下のご名代である勅使の参向を仰ぎ、国家の安泰と国民の繁栄を祈ります。

嘉祥2年(849年)に始まったと伝えられ、明治19年の旧儀再興で例祭日が3月13日に定められた当社の例大祭。 維新以前は年2回、2月と11月の上の申の日が式日であったことから申祭とも呼ばれました。 三大勅祭(葵祭、石清水祭、春日祭)の一つで氏神祭の典型。他の勅祭と異なる形態をとっています。

9時…御戸開之儀
勅使参向に先立ち、神職が御本殿の御扉を開き奉るお祭りを奉仕します。
 

 
 
 

10時…勅使参向之儀

勅使以下斎館を出て、祓戸の儀、着到の儀を経て幣殿・直会殿の作合の座につき、御棚奉奠(みたなほうてん)、 御幣物奉納(ごへいもつほうのう)、御祭文奏上(ごさいもんそうじょう)、神馬牽廻(みうまのけんかい)、 和舞奉奏(やまとまいほうそう)、饗饌(きょうせん)、見参(げざん)、賜禄(しろく)をもって正午過ぎ祭儀が終了します。