今日は朝から神津嶽に上り、
 
河内国一之宮枚岡神社の元宮にお参りをさせていただいた。
 
早足で、ふうふうと息が上がり、
 
「あと少し」と自分に言いながら、
 
自分と向き合う時間。
 
お社を目指す。
 
今日は私にとって意味深い日。
 
祓い給え清め給え。
 
 
いつもなら来た道を戻るのだけど、
 
今日は桜に誘われ、もう少し登ってみた。
 
縄文時代ここに集落があったとのこと。
 
暗峠の急な坂道を下りると
 
(暗峠は生駒山地の難所で有名)
 
苔むした中に可愛い花を見つけた。
 
古寺、石仏も多く、お社、禊行場も、
 
松尾芭蕉の句碑もある。
 
桜と心地よい風に癒されて歩いていると、
 
鶯の声に足が止まった。
 
まだ上手に鳴けない・・・
 
それが可愛くて健気で・・・ 
 
がんばれ~とつぶやきながら。
 
その声を動画でとったので聞いてみてくださいね。
 
 
木々のそよぎ、川のせせらぎ、鳥の声、風、
 
自然に抱かれ、生かされていることに感謝する。
 
昨日、緊急事態宣言。
 
コロナウイルスは敵なのか?
 
人間が経済を追うあまり、
 
利己的になりすぎたのではないだろうか?
 
地球を自分たちのものと勘違いしていないだろうか?
 
人間は他の生きものに、海山、空、地中に、相談しながら経済成長を遂げていったのだろうか?
 
答えは自ずと出る。
 
人間の知能は素晴らしいが、驕り大切なことを忘れてしまったのではなかろうか?
 
全てのものを思いやり、愛をもって共存する姿勢こそが今必要ではなかろうか。
 
 
人間はこの地球上の一員、全ては繋がり生きている。
 
 
 
 
 
 
枚岡神社の御由緒
創祀

枚岡神社の創祀は、皇紀前まで遡り、初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられています。
神武御東征の砌、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命(あめのたねこのみこと)が平国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため天児屋根命・比売御神の二神を、霊地神津嶽(かみつだけ)に一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。

※皇紀とは日本独自の暦で、西暦はキリスト誕生を元始とするが、日本の皇紀は、初代天皇西暦よりも660年前に皇紀がはじまったとされます。

 

 

神武御東征

神武天皇(神倭伊波禮毘古命:かむやまといはれびこのみこと)は、日本の国を治めるため、九州の日向高千穂から東に向かわれ、地方を治めながら日本の最中大和の国、畝傍山の橿原の地でご即位されたと日本書記に記されています。これを神武御東征といいます。浪速(今の大阪湾、当時の湾はかなりいりくんでいたと伝わる)に上陸され、生駒の山を越えて大和の国へ進もうとされたが、生駒の豪族であったナガスネヒコの大軍がこれを阻止しようと戦がおこってしまいます。思うように進むことができないばかりか、兄である五瀬命(いつせのみこと)が流れ矢によって負傷してしまうなど、かなりの痛手を負い、ここに神武天皇は、神のお告げによって「天照大御神の子孫でありながら、日に向かって敵を討つことは神の道に逆らうものである」と悟られ、天神地祇を祀った後、皇軍を還して和歌山紀州路から吉野を通り、日を背にむけて大和へ進むことを決意されます。
この時に、天児屋根命・比売御神の二柱の神を霊地神津嶽にお祀りし、国土の平定を祈願され、その後、熊野を経て大和橿原の地に即位されます。