枚岡神社の創祀は、皇紀前まで遡り、初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられています。
神武御東征の砌、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命(あめのたねこのみこと)が平国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため天児屋根命・比売御神の二神を、霊地神津嶽(かみつだけ)に一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。
※皇紀とは日本独自の暦で、西暦はキリスト誕生を元始とするが、日本の皇紀は、初代天皇西暦よりも660年前に皇紀がはじまったとされます。
神武御東征
神武天皇(神倭伊波禮毘古命:かむやまといはれびこのみこと)は、日本の国を治めるため、九州の日向高千穂から東に向かわれ、地方を治めながら日本の最中大和の国、畝傍山の橿原の地でご即位されたと日本書記に記されています。これを神武御東征といいます。浪速(今の大阪湾、当時の湾はかなりいりくんでいたと伝わる)に上陸され、生駒の山を越えて大和の国へ進もうとされたが、生駒の豪族であったナガスネヒコの大軍がこれを阻止しようと戦がおこってしまいます。思うように進むことができないばかりか、兄である五瀬命(いつせのみこと)が流れ矢によって負傷してしまうなど、かなりの痛手を負い、ここに神武天皇は、神のお告げによって「天照大御神の子孫でありながら、日に向かって敵を討つことは神の道に逆らうものである」と悟られ、天神地祇を祀った後、皇軍を還して和歌山紀州路から吉野を通り、日を背にむけて大和へ進むことを決意されます。
この時に、天児屋根命・比売御神の二柱の神を霊地神津嶽にお祀りし、国土の平定を祈願され、その後、熊野を経て大和橿原の地に即位されます。