需要と供給 6 | 芸能の世界とマネジメント

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需要と供給との関係を論じております。一言に需要といってもその定義はあいまいであり、経済学用語における需要と一般的な意味での需要は意味が異なりますし、経済学者の中でも共通する部分と異なる部分をもちますので、相当に難しい概念であります。これと同じく、供給も難しい概念であります。製本機に印刷物を投入することを供給といいますし、企業がマーケットに向けて製品や商品を投入することを供給といいます。使い方は全く異なりますが、どこかに向けて何かを投入することを供給ということに変わりはなく、皆様方もそのような解釈であればそれでよいかと思います。

 

但し、学者はそれではいけませんし、いわんや大学の教員を目指す若い諸君もそんなことでは学会で通用しないのでしっかりと定義を行うことに慣れるようにしましょう。

 

前稿では供給者と需要者における象徴の重要性について触れました。迷える需要者に供給者は老賢者のごとく現れ、需要者の問題を解決してゆく話であります。この話は単純な話でありまして、家電量販店に出向いてどの冷蔵庫を購入しようか迷っているときに店員が現れ、その迷いを解決する状況のことです。ところが、実際には店員と顧客とはそのような関係にないことが多く、店員に話しかけられることが面倒であるから話しかけられないように身構える消費者も多く、また、店員に販売ノルマを課せられている場合、売りたい気持ちが相手に伝わってしまい、顧客から逃げられることが多いのではないでしょうか。需要はあるのに供給側の力量が足りず、機会損失が発生し、この規模が大きくなると不況になると考えることも可能であります。

 

もちろん、この逆もありまして、供給側の準備はできているのに、消費者が供給側のことを信用しようとせず、消費者が冷え込むケースです。また、両者がともに不信感を持つケースもあり、やはり、モノが売れる状況となるのは需要側と供給側の意識が一致したときにはじめて成り立つものであると考えることが妥当であるとあると思われます。この考えに立つと、価格は関係ありません。心と心がつながりあえば物は売れるとする立場であります。この典型例として古新聞の販売をする商売人の物語を述べたのであります。

 

しかしながら例外もありまして、いくら需要があるからといって、古新聞を100万円で販売するとなると、それは話は別となります。この点にご注意ください。

 

需給曲線においては量と価格の情報しか与えられません。先の古新聞屋さんの例では、そのマーケットにおいて一部200円でゴールデンクロスするとなります。ここで経済学者はこのように考えます。では、古新聞は200円にて販売可能!です。しかしながら実際は既に述べているように、そのマーケット特有の事情、そして古新聞屋の顧客に対する考え方がマッチした結果としてのことであり、古新聞を200円で販売したから売れたわけではないのです。ここが経済学の教科書と商売の実際とが乖離する点であります。

 

このように需要と供給とは専門分野によって定義が変わってきます。経済学者が意味するとこの需給関係も間違いではありません。しかしながら、正解でもありません。ここが難しいのです。この部分をどのようにして解決してゆくかを本シリーズにて考えていくものであります。まだまだ続きます。ご高覧、ありがとうございました。