売ることを考える 27 | 芸能の世界とマネジメント

芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

モノを売ることが難しいとなると、自分自身を売ることはさらに難しくなります。なぜなら、人間には心が存在するからです。心には二面性があり、それは善と悪の両面性であります。ユング心理学的には絶対的な悪と絶対的な善のことを意味しませんが、例えば、勤め先ではほとんどの男性が無地の紺色のスーツを着用しているのに、一人だけ茶色のスーツを着ていけばどうなるでしょうか?また、そのような思いになった時、あなたは少し「悪」を感じるはずです。つまり、ここでの悪とは「量的な違い」との対峙のことであります。善はこの逆で、量的な違いをなくす考え方です。

 

時折、サラリーマンの方々と話をしておりますと次のような質問がよくされます。「ある母集団の全員がうまいと太鼓判を押す飲み物ないし食べ物が売れないのはなぜか?」です。答えは簡単です。一般的な味だからです。

 

ではなぜそうなるのかなのですが、ここに集合的無意識の理論が役立つわけです。集合的無意識は集合的ゆえに、仮に完全に意識化できるとすると万人に受け入れられることになります。しかし、論理的にはその人物なりの特徴が全くなくなります。集合的無意識が老賢者として完全に意識化できたとすれば、それこそ神様としての「言と動」が実現するわけですが、しかし、いわゆる神様となってしまって、例えば私が完全に元型イメージである老賢者を意識化できたとすれば、ただの神様となってしまい、田中誠一的神様ではなく、全く味のない田中誠一が出来上がってしまい、そのような田中誠一であるならば天の星を信じているほうがご利益あるのでは?と思うのが人情でありましょう。これが前述の質問に対する原理原則であります。ではどうすれば売れるようになるかというと、母集団の一部が「まずい」という商品を作ると売れるということです。しかし、一部の人といえどもまずいものを開発する勇気がありますか?統計学を駆使し、「多少まずいほうが売れる!!」ということを上司に説得できますか?回帰分析した結果、まずいものは売れるという結論が出たとしても、それが社内で受け入れられることは非常に困難であります。これが現実です。

 

現実は現実として、その現実に対処しようとするとき、やはり一部の人がまずいと感じる商品を開発せねばなりません。ここに「悪の問題」が発生します。この時にその開発者は「退行」を経験するのですが、芸術家はほぼ毎日この悪の問題に悩まされ、退行を繰り返さなければならないのであります。つまり、自ら敵を作っていかなければ芸能人として成功しないという大きなジレンマを抱えながら「進行」せねばならず、ここに芸能人が芸能人として個性化していく過程の困難性があるのです。最初にこのことを教えずにただ単に芸能界にあこがれだけをもって入ってくるととんでもないことになり、大きな心の病を持つに至るわけです。

 

芸能人やアイドルにおいて常に問題なく売れている人はこの「善と悪」とのバランスが常に取れている人でありまして、つまり、ファンからしても該当する芸能人の「影」の部分までも読み取ることができ、かつその「影」の部分にも惹かれるような芸能人としての絶妙な心のバランスをとれている人であります。

 

前稿においては集合的無意識だけの活用では売れないことを論じました。本稿においてはではどうすれば売れるのかについて具体的な方法を論じているのですが、答えとしては「少し毒を入れる」ということになりましょう。ではこの毒とはユング心理学において何かというと、それは「自我」であり、この意味で自我を元型と主張する人もいますが、私はそれは違うと考えております。話はそれましたが、「毒≒自我」としましたが、ここに自我の怖さといいますか、自我が出すぎた時にどうなるかについてお分かりいただけるかと思います。毒とまでいかなくても限りなく毒に近いのが自我であるかと思われます。集合的無意識という無意識を自我によって意識化してゆくのですが、自我が強く出すぎると集合性が失われ孤立となり、逆に自我が弱いと没個性となるわけです。

 

一般的には集合的無意識の方が毒のようなイメージかと思われるのですが、それはバランスの問題でありまして、集合的である分、逆に毒性は少ないと考えるほうが自然かと思い、自我の方を毒に例えましたが、毒も使いようによっては薬になることを見ても、意識的な部分を毒と捉えるほうが理解しやすいのではないでしょうか?

 

今回は個人的無意識を抜きにして話しておりましたので、次回からは個人的無意識を交えて論じていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。