本シリーズの前稿においてはアニマについて論じました。今後にペルソナについて論じてみようかと思いますが、その前に元型なるものは常に自我に対して影響していることについて述べておこうと思います。
元型は常に自我に影響していると聞いて一般の方は驚かれるでしょうけど、専門家からすると通常の現象であります。元型が自我と完全に切り離され、元型が自我を覆い隠すようになると非常事態となるのですが、人の心は元型と自我とが仲良く向き合っている状況で通常の状態であります。とりわけ芸能人や芸術家はこの元型なるものに異常なほどの興味を示すのですが、いざ元型が自我に影響し始めると実に辛い状況となります。それでも元型を感じたいですか?というのが私からの問いかけであります。
例えば男性のビジュアル系バンドなる音楽グループがありますが、これは男性が女性に近い格好をしてステージに上がるのですが、男性が女性に接近しているという意味ではアニマが出ている状況といえます。この状況だけを見るとビジュアル系バンドのメンバーは非常に危険な状況であるといえるのですが、これを意識的に行っているのであれば全く問題はありません。ところがです、無意識というのは意識できないから無意識でありまして、たとえ「商売のため」と思っていても現実的にアニマを表現する格好をするわけですから、実際にはアニマが自我を占領し始めている兆候である可能性も否定はできません。ここが難しいのです。
いかがでしょうか、元型を感じていただけたでしょうか。そして男性から女性へ接近し、仕上がったメイクや衣装はそのまま「ペルソナ」となります。ペルソナとは「それらしい」と自我が思う現在の主体の在り方であります。つまり、頭で考えられた状況であり、本来の主体の在り方とは関連性はありません。男性だから男性的に、ビジュアル系だからビジュアル系にというのがペルソナであります。ここからいえることは、アニマを存分に発揮した結果として、「そのメイク、その衣装」なるものが存在します。その主体の心の状態が正常であるか否かは今のところ議論しませんが、その主体となる男性が「理想の女性」と思うその思いが表現されるのがここで意味するペルソナであります。このような見方をすると、メイクや衣装のセンスが非常に良い状況だと仮定すると(より深く女性を追求できている状態)、その主体の男性がどれほど深くアニマに触れ、そしてペルソナで自分を覆い隠そうとしているとなります。つまり、ビジュアル系として完成度が高ければ高いほど、女性の世界に生きる男性と見立てることが心理学的には可能であります。そんなアホなことあるか!!という声が多く聞こえてきますが、これが心理学であります。現代においてこのような状況が良いのか悪いのかについて言及することは困難でありますので、この点について言及することはしません。ただし、このような生き方に「辛い」と思うようになったビジュアル系の男性にとっては男性の世界に戻ることをお勧めします。
このように元型なるものはごく自然に心に働きかけているために気づかないうちに元型に自我が食われている状態になっていることもあります。今回は男性のビジュアル系バンドを例にしましたが、その他にも少年の元型が作用している人は人に自分の仕事を負わせるなどのことがあります。これは最近ではアスペルガー症候群などと病名がつけられておりますが、もっと広範囲で考えるのであれば少年の元型が作用していると考えれば理解しやすいかと思います。薬を必要としない場合はこの理解のほうが治療しやすいと思うのですが、専門家の先生方、いかがでしょうか?
では次回よりペルソナの話に移っていこうかと思います。本稿ではアニマ・アニムスの作用がペルソナに及ぼす影響についての序論的なものとしました。お気づきのようにペルソナは「本人は気づいていない」という観点より元型とされておりますが、表現の方法が外界へ向けてのものでありますからわかりやすい反面、なぜ元型なのか?という疑問も多いかと思います。今回はこの件について何となく理解はできたものかと思います。しかし、まだモヤモヤは残っているものと思われます。それが狙いなのですが・・・
次回よりモヤモヤを取る作業にかかろうと思います。ご高覧ありがとうございました。