前稿では影を例にして人生論を語ってみました。私のような若輩者が人生を語ることはまだまだ許されませんが、一応の例としてやらせていただきました。また、影の問題は河合隼雄博士が一冊の本として出版するほど奥の深いものであります。いわんやペルソナの逆とだけ考えていたのでは間に合わないのですが、そうも言っておれない現状もありますので、影についてよりお知りになりたい方はその本を読んでいただくとして、時間のない方は当ブログにて影に関する「感覚」をつかんでいただければと思います。
前稿では影に支配されるミュージシャンの話を行いました。主人は私なのですが、この話に肉付けをするれば小説となり、それなりに楽しいものとなるかと思います。また、芸能界にむいているのは努力家かそれとも影に支配された人か?との問題提起を行いました。私は結論からすると影に支配されている人だと考えております。ゆえに、私は影を取り去ろうとは思っておらず、むしろ影とうまく付き合おうと努力しているところです。しかしながら、これは大変な苦労があります。なぜなら、影は無意識であり、感じることが困難であるからです。また、完全に感じてしまうと影は消え去ってしまいます。影が消え去った田中誠一という、いわゆる「普通の人間」を誰が期待するでしょうか?と考えますと、実に影は良い働きをしている半面、精神的な負担は相当なものとなります。さらに、現代のマーケティングは人間の精神状態は全く考慮されていないことも立派に証明できております。つまり、「見たい」と思う方向へ進ませるのがマーケティングであるならば、演者の気持ちなど全く関係ないとするのが現代のマーケティングの姿であります。そしてこの点でアーティストと運営側で対立が発生し、バンドが解散となったり、芸能界を引退したり、場合によっては自殺ということにまで発展します。そして私は・・・心理学者でもあり、経営学者でもありますからそれを両立するために頑張っております。そしてその状況を皆様方にお伝えしているという状況です。
それにしても影に支配されたミュージシャンという題材は我ながら面白いと感じております。というのも、実際にはほとんど努力せずにプロの領域にまで達するのはなぜか?という疑問には答えやすいかと思います。もう一つ面白い事例があるのですが、私の親戚に東京大学の文1類にほとんど勉強せずに現役合格した人物がいます。その人はそれこそ人の目につかないところで努力をしているとおもっていたのですが、実際にはそうではなく、勉強はほとんど行っておらず、ご家族も相当苦労したという話を何度も聞きました。また、私の小学校からの友人は現役で京都大学の経済学部へ合格した人物がいました。その人物は多少は勉強しておりましたが、私よりも勉強する時間ははるかに少ないのに京都大学へ合格しておりました。その時から私はこの現象にかなりの疑問を持っていたのですが、私は勉強ではなく、ギターという楽器にかんして上述の人物のような状況に置かれていたようであります。
さて、事例がある程度そろったところで、どちらが幸せで、どちらが業界で活躍できるか?と考えてみてください。幸福度は影に支配された人物の方が低いですが、業界での活躍度は影に支配された人物の方が上になるかと思います。私は学者としても活躍しており、それに対する満足度は言葉では表現できないくらいに充実したものであります。しかしながら、音楽業ほど目立つ業績もなく、学会からは嫌われ、充実感とは逆相関する形で学者としては落ちこぼれております。これが元型が作用するという説を援用した人生論であります。人気ある芸能人が突如として芸能界で何らかのトラブルが発生させるとき、この影の問題が大きく作用しているように感じております。影の問題は自分自身の内面にのみ作用するのではなく、外界にも大きな影響を及ぼします。例えば、急に私が自殺したり、何らかの、しかも私のペルソナとは逆の問題を起こした時、皆さまはこのように発言するでしょう・・・「そのようなことをするようには思えなかった・・・」この一言に尽きるかと思います。これが影の問題であり、元型を感じることがいかに困難であるかを証明させる一言であります。
ところが、人気者になりたい!と思っている方は是非ともこの「影に支配されたい」と思うことでありましょう。その方法を教えてほしいという人はこれまでも数多くおりましたが、実行するにはかなりの精神的な努力を必要とし、既に何らかの心の病にある人がこれを実行すると逆効果となることもありますから、あまりお勧めしませんが、次回以降に方法論について論じていきたいと思っております。気を付けていただきたいのは、「私は心の病などない」と思っている人ほど危険であります。また、自分でも自覚症状がある人もまた危険であります。実際のところ心の病は誰でも持っており、その程度が強いか弱いか、ある程度意識できているか、そうではないかの違いであります。先んず、一番必要なのは主体の心の分析であります。これができれば乗り切れるかと思いますので、私がこれより論じようとすることを実行しようとする人はぜひとも心理療法家の分析を受けていただきたいと思います。
ご高覧、ありがとうございました。