前稿ではブルーオーシャン戦略について触れ、レッドオーシャンへの対処法というのを吟味するところから本稿を始めようと予告しました。また、地方の芸能人が全国へ向かっていくにはどのようにすればよいのかについても吟味していこうとしました。もちろんそれから始めるべきであるのですが、しかし、それは私のマーケットの読みに誤りがあるのではないかというある発言を直接耳にし、本稿に入る前に、精神論から入ろうかと思います。
先日、ある地域のバンドに参加しているときにあるメンバーからこのような話を聞きました。「音楽業界、どのようにすればよいのかわからない」
この一言はかなり痛烈な言葉であります。文言だけを見ると言いたいことがそもそもよくわからないと見ることもでますし、「甘い!」という方もいるでしょう。さらには「それほど音楽業界はカオスなのか」とか、己の技術力、知己力の不足じゃ!などと、否定的な意見ばかりが多く出ることは必至です。しかしながら、それは音楽業界に布置されていない人々から見る布置によるものであり、これをただ単に否定的な意見としてくみ取るのは間違いであります。私もその人と同じ音楽業界に身を置く人間としてこの一言に身震いをしたのを覚えておりますし、この言葉がなければ今回の論文になっていないかったです。それほどまでにプロミュージシャンとしての強い思いが込められた一言であります。
では、「音楽業界、どのようにすればよいのかわからない」を翻訳するとどのような意味になるかというと、「音楽業界で生活する、ないし、生活をしようと志す人の道が閉ざされ、出口の見えないトンネルをひたすら走り続けているのが現在の音楽業界である」という意味であります。これは何も音楽業界だけの話ではないですが、「音楽は無料」のこの時代、特に音楽業界で生活する人は「どのようにすればよいのかわからない」というのが本音であり、しかしながら、世の中から音楽をなくすわけにもいかず、まさに「あいだ」に入る業界人はその「象徴」として活躍しなければならず、ものすごく苦しいわけです。音楽を絶やすことなく、無料の時代を生き抜く策とは何か?これを親身に感じた言葉であったのです。
よく考えてみれば、なぜ私は学者をやっているのか?とか、なぜ学者をやりながらもプロミュージシャンであるのか?を深く考えたことはこれまで一度もありませんでした。深く考えていたことはビジネスとして、また、社会人としてどうあるべきかは常に深く考えておりましたが、なぜ自分自身が学者となりえたか、またプロミュージシャンとなりえたかについて顧みたことはなく、まずこのあたりのことからお話しすることから始めたほうが皆様方もスッキリするのではないかと思い、理論編に入る前に、私の歴史を振り返ってみようと思ったわけです。まず、私がなぜ学者になったかを振り返ってみようと思います。
まず、私は学者になろうとしてなったわけではありません。そして、プロミュージシャンになろうとしてなったわけでもあありません。実のところそのような人物こそが何事にも「プロ」として活躍することが多いのです。皆様方が子供の頃にご両親や塾の先生からこのようなことをよく聞かされたのではないでしょうか?それは、「将来、どのような職に就くかを考えなさい。それを逆算し、文系に進むか理系に進むかを考えなさい。」 この言葉は私が小学校の頃は毎日のように両親や塾の先生から言われました。今から30数年前の話です。そしてその時の思いですが、「文系とは何か?理系とは何か?」でした。要は、文系や理系という言葉を知らないわけです。さらに、辞書を引いて調べたところでもっとよくわからないわけです。というのも、理系でも言葉を扱いますし、文系でも数字を扱います。なぜ「分けなくてはならないのか?」とい疑問を私は30数年前から抱いておりました。とても変な少年ですよね。今ではこのような疑問を持つ子供を「アスペルガー症候群」や「鬱」と診断するケースもありますから、私が現代に生まれていたならば、心の病を持つ少年として育てられたかもしれません。怖いですね。それはさておき、このように、常に「なぜ」を問う少年でありました。はっきり言って生意気で、さらに、大人からすると「可愛くない」少年の代表格であります。子供だから自分で稼ぐことができないのは当たり前のことですが、それにしても、自分で稼いでいないにもかかわらず、この生意気な状態はなに?とよく言われたものです。ところがそんな少年も約30年後に国内の博士号を3つ、そして海外の博士号を1つ、合計で4つの博士号を持つ教授になったわけです。なぜでしょう?
易経の教えでは人間の一生というものは生まれもって決まっていると考えます。その決まった中でどのような変化をつけていくかを考えていくのが易経の基本的な考え方です。例えば、A地点に行くのに道が3つあるとします。死ぬまでその中の一つの道を進んでA地点まで往復するのか、それとも三つの道をうまく使わけA地点まで往復するのか、など、目指すべきものは同じであってもそのプロセスに違いがあり、その違いの変化を見ていくというのが易経の考え方であります。ですから、私は易経は当たると思っております。なぜなら、帰納法的な論法だからです。あとは占われる側が「人生は初めから決まっている」ということをどこまで信じることができるかでありますが、これを信じる人などほとんどいないのが現状であり、またそれだけ科学というものが浸透している証拠であります。こう考えると日本の教育というものは「統一感」ということでは素晴らしいということができますが、一方で科学が行き過ぎてこれ以上に分けることができないくらいに分かれてしまい、そこに閉塞感が感じられ、迷う人が増えているようにも思います。
ここまで話したところで私の少年時代のことに話を戻しますと、私は誰に教えられることもなく、「問題点」を整理することを得意としておりました。ただし、周りの大人はそれに「イラッ!」ときておりましたが、それはいわゆるコンプレックスというものであるという理解を実のところ、子供の頃より理解できておりました。これを分析しますと、まず、
1:現象を見る
2:問題を作る
3:仮説を設定する
4:仮説を立証する
5:理論の構成をする
6:結論を下す
という、以上の6つのプロセスを子供の頃より誰にも教えられることなくできておりました。これは何も私だけではなく、学者で生活している人のほとんどは子供の頃よりこのような力が備わっております。ですから、学者を目指して学者になった人というのは私は今までほとんど出会ったことがありません。また、学者を目指して学者になった人は学者になってから非常に苦労している人がほとんどであります。それが本人にとってどうなのかについて、私が意見を言える立場ではありませんが、それにして、学者を目指して学者になった人はなぜそこまでして学者という職にこだわるのか?という人が多いように感じられ、ここに易経でいうところの「人生は初めから決まっている」というのが頭から離れないようになるわけです。ちなみに、上記の6つのプロセスは学術論文を書くときの目次の基本的な構成であり、これを何も考えずにできていたためにあとは研究するだけで事足りていたのが、他の競争相手とのリードタイムが短いという点において重宝され、気づけば学者になっていたというのが流れです。クリステンセンの理論では破壊的イノベーションの一つに「価格」というのがありましたが、学者の世界では「時短」というのが破壊的技術として通用するのが特徴であります。しかしながら、この時短の技術がどのようにして生まれたのかについては、はっきり申し上げて「謎」であります。なぜ私が子供の頃より、それも誰にも指導されたわけでもないのに、学者の方法論が子供ながらに備わっていたのか?これは私にはわかりません。否、誰にもわかりません。わかったら世界は破滅するでしょうね。。。
ではなぜ私がなぜプロミュージシャンとして活動しているのか?これはある程度、深層心理学的に解明することは可能です。しかしながら、それでもなお表面的な解説となることは否めません。この点を次回に論じ、本稿の最初の問題意識である「音楽業界、どのようにすればよいのかわからない」への解決法を見つけていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。