前稿ではタイプ論を使いコンプレックスなるものを吟味してみました。最近は中国哲学の論文も他のブログに入れておりますのでその関連と共に書いていこうと思います。また、これまでは書こうとしても書けなかった中国哲学の話を交え、話を進めていこうかと思います。また、私は中国哲学の分野で文学博士号を申請中であります。専門家に向かって一歩前進しておりますので、今後も変わりなくお付き合いいただきますと幸いです。中国哲学というと難しイメージがありますが、やはり難しくないといえばウソとなってしまいますから簡単だとはいいませんが、原理原則を理解できればものすごく簡単であり、単純であります。ユング心理学は中国哲学から大きな影響を受けておりますので、その意味で難しく思えますが、実はさほど難しくないことを知っていただこうと思うわけです。そして、人の心を引き付ける方法も実のところそれほど難しくはなく、これまではユング心理学のみを援用しておりましたので偏った説明となっておりましたが、今後は中国哲学の理論と共に芸能論を展開していこうと思います。
まず、そもそもコンプレックスとは何かといいますと、それは「複雑な状況」のことであります。もう少し翻訳しますと、「心全体」のことを表し、そしてその心というものは「複雑」であることを表現する単語であります。この状況がすぐに思いつけばもう一人前だと思います。この心のあり様が易経と似ておりまして、この易経と同時にユング心理学を吟味するとユングの言っていることがよくわかってきます。そして、なぜ私が「心の磁石」というタイトルにしているのかもよくわかっていただけるものと思います。そもそも中国思想というのは両面思考でありまして、例えば、優しい人が目の前にいるとすると、その人は必ず怖い面や恐ろしい面を持ち合わせていると考えます。怖い人が目の前にいればその逆を考えます。要するに、前面に何が出ているかが違うだけで、根本的に人は皆プラスの面とマイナスの面とを持ち合わせていると考え、これらが磁石のように引っ付くことで人間社会が成り立っていると考えるわけです。既に複雑ですよね。西洋や現代の日本であれば、ある人物の人格に関しては一面的にしか認めず、優しい人は24時間365日優しい人であることを求められ、何かの機会に怒鳴ったりすると悪人扱いされる始末です。これは心理療法家の常識と比較すると大きな間違えであり、このような思考が心の病を増やすものと思われ残念でなりませんが、ともすると、やはりバランスというものが非常に大切で、ここに「中庸」というキーワードが大切になってくるのです。
例えば、現在の芸能人はあるイメージで一貫性を保たなければならず、これが芸能人のサイクルの速さと、ブレイクの遅さを助長させるものと考えております。人間は誰しもプラスとマイナスの両方を持ち合わせておりますので、例えば、プラスの要素を全面的に前に出し、マイナスの部分を全て取り去った人間は、はらわたを取り去ったアユを食べるようなもので、一口目はいいかもしれませんが、二口目に続かないわけです。芸能人もこれと同じで、いい人の一面性だけでは芸能人としてやっていくには難しく、芸能人自身も辛いでしょうし、見ている側も同じく辛くなるかともいます。そして、共倒れになり、現在の芸能界の姿があるように思います。易経の「䷊(泰)」がなぜ大吉なのかを考えてみればよくわかるかと思いますが、やはり、プラスとマイナスとのバランスがとれているからだと思います。然るに、陰と陽との組み合わせが坤が内卦で乾が外卦(否卦)ではなぜいけない?という疑問が当然のごとくあるかと思われます。私もそうお思いますが、そのような状況がすなわち、コンプレックスなのであります。そしてこのコンプレックスの状況からわかるように、コンプレックの解消というのは基本的にありません。よってコンプレックスに向き合い、心を納得させるしかありません。ここに個性化や自己実現という概念が投入されるのですが、まずは心というのは易経と同じように複雑だと考えてください。ちなみに、泰卦ですが、これは通常は吉でありますけど、男性が下で女性が上の状態です。そうすると、例えば、「父が土に還る」というように読むこともでき、状況によっては凶となる場合もあります。逆に、否卦が出たからといって凶になるとは限らず、「父、土から離れる」という解釈では、死神が去っていったと読むこともでき、これがコンプレックスの面白いところであります。要するに物事が複雑であるがゆえに様々なアプローチが可能であることを意味し、自然科学や社会科学のように唯一絶対の正解など存在しませんが、正解は正解として存在する世界というのが易経やユング心理学なのであります。
このように、引っ付きあう陰と陽との関係は、環境的な前提として「コンプレックス」というものが存在します。つまり、複雑な環境の中での陰と陽です。芸能界も同じことだと思います。演者がいて聴衆者がいまして、そこにスタッフもいます。聴衆者といえども十人十色で、一気に多くの人を取り込むにはどのようにすればよいのかについて、マーケティングでは顧客を分類するようなことをしますが、これは易経の考えからするとナンセンスでありまして、類型化しないところに真の分類が確立すると考えると、そもそも特定の人間を排除しませんから、多くのファンを獲得することができるという仮説を導き出すことが可能であります。60代の芸能人が10代の聴衆者を取り込むことも不可能ではなく、これができればビジネスとして本当の面白み、そして、お金ではなく、心底、仕事が面白くなると思われます。
ご高覧、ありがとうございました。